12月7日
土特の時間を使って、長男のこれまでの中受を振り返ってみる
中学受験ブログといえば、勉強の進め方やテスト対策がテーマになることが多いと思う。我が家の中学受験は少し違った。勉強だけでなく、発達特性や塾への適応の難しさどう向き合うかが常に課題だった。
長男は非常に高い理解力を持ちながら、その能力をアウトプットに活かすことが苦手だった。4年生の頃は癇癪を繰り返し、机に向かうことができない日々が続いた。通塾も不安定で、何度も退塾を話し合った。「死にたい」と口にしたり、幻覚や幻聴を訴えるようになった。病院を受診して薬を試したものの、効果は限定的で、逆に執着が強まるなど新たな問題が生じた。
今、過去のブログを読み返すと、記憶している以上に当時の状況は悲惨だった。当時は長男の状態が理解できず、何をすれば改善するのかも分からなかったが、長男自身の言葉の端々に、状況を理解するための手がかりが隠されていた。
凸凹中受、いよいよラストスパートだ!
白目太郎の中受のこれまで
小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。
小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。11月にS偏65に到達するも、絶賛足踏み中。
例えば、退塾の話し合いの中で長男が言った「僕は勉強がしたいのに、手が面倒くさがっているんだ」。これは処理速度の遅さによるもどかしさを、長男なりに表したものだったのだと思う。
「頭の中が言葉でいっぱいになる」という言葉も印象的だった。言われた言葉や自分の考えが渾然一体となり、思考が暴走するように頭を埋め尽くしてしまう。塾に通い始め、頭を使う場面が増えたことでその傾向が強まり、言葉が溢れ出してしまうような時期があったのだろうと思う。
さらに、空腹感や眠気、疲れなどを自覚するのが苦手な内受容感覚の鈍さもじわじわと長男を蝕んでいった。自分の状態に気づけないまま疲れを溜め込み、それが4年生の夏の爆発へと繋がっていった。夏期講習はたったの3コマしか受けられなかった。
しかし、最初にかかった発達外来では、まともな発達検査もしてもらえなかった。不満に思い、別の大学病院に転院。ようやく発達検査を受けることができ、高いIQがある一方で、能力にばらつきがあり、人間関係を築くのが難しい特性が分かった。自分に対する自分の期待に応えられないことや、他者との関わりに苦しむ姿が見えてきた。これをきっかけに、高IQの子どもが抱える生きづらさについて情報収集を始めたことが、親としての理解を深める助けになった。
ギフテッド児には、激しさ、繊細さ、過興奮性があるとされる。理想主義で、怒りの感情も強い。一方で、非同期発達の特徴もあり、知的能力の高さに比べて未熟な面を併せ持つ。長男にとって通塾の開始は、ワクワクする出来事であると同時に、達成度をスコアで測られ比べられるという、不本意で苛立たしい状況でもあった。
ただ学びを楽しむだけでは済まされず、意味を感じないことも疑問を挟まず「真面目に」取り組むよう指示される。しかし、それは時に彼にとって困難だった。
授業は好きだったが、宿題は嫌いで、家で勉強をしようとするたび荒れ、口達者なこともあり、激しい口論に発展することもしばしば。あの抵抗は「なぜこんなものを勉強しなければいけないんだ」という内容への反発ではなく、「なぜこんな方法で勉強しなければいけないんだ」という手法への怒りだったのだと、今なら理解できる。
状況が改善したのは、ADHDの薬を飲み始めたことがきっかけだった。上記の激しさの一側面なのか、それともそれとは別のADHDの特性によるものなのかは判別できないが、頭に次々に浮かんできていた思考が整理された。常にお祭りのカオス状態だった頭の中に、秩序がもたらされた。
思考の制御だけでなく、時間の把握や距離の目測なども徐々にできるようになっていった。裏を返せば、そういった「正しい感覚」のない、距離も時間も伸縮自在な世界にいたということ。服薬により、彼の脳内世界は他の人が体験している世界と近いものになり、いきなり異世界に飛んでいってしまうようなことが減った。生活が楽になりはじめたのもこの頃だ。
変化は成績にも表れた。算数の解き方も変わり、複数の考えを同時進行させる混乱したスタイルから、順序立てて解くスタイルに変わった。ノートも、他人に伝わる形でまとめられるようになってきた。
その後、情緒も安定。新5年生の1月から10月までは、途中から学校の不登校はあったものの、通塾に限って言えば比較的「凪」の状態が続いたのだが、10月に再び塾に行けなくなり、退塾。自信のなさや周囲の子どもへの恐怖心が背景にあったのではないかと思う。そしてそのまま6年生に突入。小5までが可愛く思えるほどの混乱が、小6でもまた待っていた。
黒歴史だったので過去のブログは読まないようにしていたのだけど、ブログまとめながら読み返してみた。診断がつかず悩んでいた日も、非常に冷静に長男を観察し、理解しようとしていたと今振り返っても思う。発達特性ありまくりなのに、診断がつかないって、本当に大変。
今はだいぶ落ち着いたけど、相当山あり谷ありの2年間だったよね。
何度も塾にも行けなくなったし、発達外来で薬ももらって、やっと調子が整ったよね。調子も成績も整ってきたのは、6年の秋だった。
Coming soon