「明日、遅くなる。帰りは9時かな」。夫から接待が入ったと伝えられた8月中旬のある日。精神不安定な太郎との日々に疲弊しきっていた私は「私の苦しさを分かってるのか」と詰め寄りたい気持ちをぐっと我慢。口を閉ざしてもにじみ出る不機嫌オーラに、夫は「俺は仕事もできないのかよ」と言い放ちました。接待の日、夫は約束の21時に帰らず、午前様に。一歩、一歩、限界に近づきます。
小4の壁と夏休み
8月中旬。この頃私は、長男の精神科通院に加えて、もう一つの壁に直面します。「小4の壁」。きょうだい児がいる場合の小4の壁、と言った方が今回の場合は正確でしょうか。
皆様ご存じの通り、小4で学童はなくなります。多くの子は塾通いを始めるなどして、放課後や長期休暇の居場所を確保します。学童がなくなっても、塾などに通うことさえできれば、まだ良いのです。毎日ではなくとも居場所は確保できる。
困るのは、お盆休み。特に子供が複数人いる場合、きょうだい同士のお盆休み期間が一致しないことがある――。この夏、私はそれを初めて知りました。
我が家の場合、長男の夏の通い先はサピックス。次男の通い先は民間学童。そのお盆休みが微妙にずれていたのです。私の夏休み期間は1週間で、子どもたちのお盆休み両方をカバーすることはできませんでした。
やむなし。私はお盆休みを長男のサピックス休みに合わせる形で取得。次男は私の在宅勤務の傍ら、学童休みの終盤3日間は家で過ごす形になりました。
コロナ禍の休校期間を乗り越えたのだから…
このブログを読んでくださっているワーママの皆さんは、コロナ禍での保育園休園・休校騒動を乗り越えてきた方々ではないでしょうか? 我が家もそうです。2020年3月に突然始まった在宅勤務と在宅保育。しっちゃかめっちゃかになりながらも、何とか耐えた怒涛の日々。
あの時の休校期間は2020年6月までの4カ月間。「子供を見ながら仕事なんかできるわけない、ましてやなんだこのプリント(※学校からの宿題)の山は」と悲鳴を上げながら、それだけ長い期間、子どもの家庭学習に伴走したのです。
だから、大丈夫だと思っていました。お盆の計画を立てたころは。今年の夏がこんなに悲惨なことになるとは思わずに。
お盆明け直後から躓いた
でも、もう、ダメでした。当初の想定では長男は午後にはサピックスに行くはずだったのですけれども。夏期講習開始直後から登塾拒否。その延長線上で、当然お盆明けもサピックスには行けず。
学童がない次男。サピックスに行かない長男。ASD(自閉スペクトラム症)傾向のある長男は、相手が嫌がっていることが分かりません。嫌がっている次男と無理に遊ぼうとして、からみ続けて喧嘩勃発。面倒見る親の精神疲労は、1+1=2ではなく、変数がぶち込まれまくって10倍以上に。
でもたったの3日間です。3日耐えれば次男の学童は始まる。家にいるのは長男1人と私になる。…しかしそれまでの3日間がしんどい。宙を舞う宿題。上階から落ちてくる各種おもちゃ。物が散乱しすぎて地雷原と化すリビング。長男の怒鳴り声、次男の泣き叫ぶ声。そんな中で私は黙々と仕事。
もう、発狂していいですか?
長男の精神科通院で完全キャパオーバー
ところで、この夏は非常事態の連続でした。
私の頭の中は長男の精神科通院のことでいっぱい。ちょうど転院を考えて主治医に切り出したのがこの頃で、紹介状を断られた帰り道に涙が止まらなくなった出来事もありました。
7月から徐々にエスカレートしていた長男の精神不調。幻覚が見えたり、死にたいと騒いだり、虫が脚を這っていると飛び上がったり。何がどうしてそうなったのか分からず、時間があればPCにかじりついてひたすら検索。
お盆休みに決行した休薬を経て長男の状態は最悪の状態からは改善し、先への希望は少し見え始めていた時期ではありましたが、私の心のキャパシティはとうにオーバーして、それ以上の負荷を吸収できる状態では全くなくなっていました。
保険のつもりで心療内科を予約
「お願いだから図書館にでも行って。どこかに遊びに行って。私に仕事をさせてよ……」最後は懇願からの嗚咽。心療内科に予約を入れたのはこの、お盆明け後のカオスの3日間のことでした。
心療内科はできればかかりたくはありません。我が家では夫が長く躁うつ病闘病中で、住宅ローンにしても生命保険にしても、精神科通院歴があるだけで門前払いとなり、何度も頭を抱えてきました。これまでの苦い記憶から、私だけは健康体でいたいと警戒していたのです。
もう少し踏ん張れそうな気もする。でももうダメな気もする。少しのことで涙が止まらなくなるのはもうアウトか、まだセーフか? 今はしんどいけど夏休みが終われば好転するのでは…。
とりあえず電話だけ、と自分に言い聞かせて近くの心療内科に電話。枠が取れるのは最短2週間後で、「それまでの間に改善したらキャンセルしよう」と、初診を入れてもらいました。いわばお守り代わり。とにかく2週間。そこまでは耐えようと。
心療内科の予約の件は、夫には伝えませんでした。あくまでお守り代わりと思っていたというのがまず1点。しかし何より、そこまで自分が追い詰められているということに、私自身が敗北感を感じていて、夫に弱さを見せたくない、という余計なプライドが邪魔をしたのでした。
夫の帰りは結局24時に
長くなりましたが、夫が「明日遅くなる。帰りは9時かな」と伝えてきた頃の状況について書いてまいりました。
夫を責める気は毛頭なく、夫は夫で精いっぱいやっていました。お盆明け後のカオスの3日間の間も何度も子供たちを外に連れ出してくれました。だから、夫婦ともどもいっぱいいっぱい。そんな中入った接待の仕事。しょうがないです。共働きだもの、乗り切るしかない。
しかし、夫の帰宅は当初言っていた21時から大幅に遅れて日付は翌日に。さらには「遅れる」との連絡もなし。振り返れば、兄弟の面倒を見るのが大変だったというわけでもなかった。よりダメージが大きかったのは帰宅が遅れたことへの失望感。「家庭の状況を顧みれば、2次会には行かずさっと引き上げることくらいできたでしょうよ」という。
深夜に帰宅した夫を「ちょっと遅いんじゃないの」と硬い声で迎えながら、崩れるギリギリのところで私を支えていた蜘蛛の糸のように細い糸が、1本、また1本と切れていくのを感じていました。
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