小4の長男が児童精神科通院中です。通院前に最も心配していたのが折に触れて口走る「死にたい」。1カ月ほど見守ってきて、この発言はいくつかのパターンに分けられると分かってきました。こちらは隣に太郎がいる状態で執筆しているので、限りなく本人の実感に近いです。
太郎と一緒に心を図解
最初に「死にたい」と言われたときには真剣に悩みました。子育ての対応を何か間違ったのではないか。子どもを追い詰めているのではないか。発言が飛び出してからは意識的に一緒にいる時間やスキンシップを増やしてきました。それでもなかなか根絶できない「死にたい」発言。よくよく聞いていると、いくつかのパターンに分類できるようでした。
このエントリーは、太郎と一緒に、心を図解してみながら書いています。
すべきことが決められず混乱
したいこと、しなくちゃいけないこと、ほかの人がしてほしいことが全部違って、どれをやればいいのか分からなくなるというのがこれです。最近の例で言うと、親はキャンプに行こうと言っているが自分は家でジオラマを作りたい、などの時にこのタイプの混乱が起きます。混乱で頭がいっぱいになると、「もう嫌だ死にたい」と暴れだします。
つまらない
休みの日に顕著です。朝起きて何もすることがない。公園に行っても友達がいなさそう。ジオラマのキットはすべて組み立て終えてしまった。そんなときにソファに寝転がって天井を見つめて「死にたい死にたい死にたい」と呪文のようにつぶやきます。
やりたいことが次から次に湧き出してくる時もあるのですが、精神的パワーが枯渇していると、自分の中からやりたいことが湧き出してこなくなってしまいます。普通の子どもはそんな時はダラダラ過ごすのでしょうが、太郎にとってダラダラすることは「魂の死」。死にたくなるほど落ち込むようです。
嫌な感情・記憶の爆発
友達と学校でうまくいかなかった、親に怒られた、忘れ物をした、点数が悪かったなどの嫌な出来事を突然思い出します。感情の振れ幅が尋常じゃなく大きく、喜ぶときはおしっこを漏らすほど喜んで、嫌な記憶は何カ月も持ち越します。会話の中に特定の単語が出てきただけで数カ月前のテストでの失敗を思い出して記憶の渦に飲み込まれるなど。
期待に応えられない罪悪感
サピックスに行かなければいけないのに行けない、親の期待に応えられないのがつらい、などの罪悪感を非常に強く感じています。今はゆっくり過ごしていますが、ゆっくり過ごしている時ですら休んでいる自分に罪悪感を感じてしまうとのことです。
なんでそこまで親に信頼してほしい、期待にこたえたいと思うのかと聞くと、「サピックスを辞めさせられて未来が失われる」との答え。中学受験に対してそこまでのプレッシャーは与えていないつもりだったのですが、私たちの言動の端々に期待を感じ取って、応えなければと追い詰めてしまっているようです。
また、彼の発達の特性として、他人の期待に過剰に応えようとする過剰適応というものがあるのかもしれないとも、感じています。
友達とうまくつながれない
太郎にとって、サピックスに行くことは友達とつながる上でも大事な手段になっているようです。
おそらく、発達に問題のない子であれば、何でつながるなどと考えなくても普通に友達と繋がれるんでしょう。太郎の場合は、特定の深く付き合える同じ発達凸凹の幼馴染を除くと、サッカーや習い事などのサークルを非常に大事にします。普通に繋がれる友人が少ない中で、ただ参加するだけで同世代といられる場が貴重だからです。
そんな切実な思いが、「友好関係を築くために友達と同じことをしたい、そのために勉強を頑張りたい」という言葉に表れています。サピックスに行かない、退塾することが彼にとって大問題だという点にもつながってきます。
話しながらパニックに
最初は図解しながら穏やかに話せていたのですが、だんだん辛くなってしまってパニック発作に。言語化能力の高さに驚いて次々と質問を投げてしまったのですが、心のキャパシティは年齢並みだということを忘れてしまいました。太郎の心との距離感は親にも全くわかりません。でも、かなり理解が深まりました。これだけの説明、頑張ったよ、太郎さん。
追記:2022年8月現在「死にたい」は消失しました。
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