別居の原因は何だったのか② 教育観の違いについて

白目トモ子(筆者)
マスコミの片隅で息も絶え絶えの記者。週末キャンピングカー住まい。子供との野遊び、中学受験、家計簿、時短収納を記録。自身も中受経験の経験組。

前回に続き、3カ月の別居の原因となった夫婦のすれ違いについて整理していきます。

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教育観の違い

長男が小4になり中学受験の準備を始めてから私たち夫婦の関係が悪化していったのも必然でした。中学受験を巡る価値観や温度に差があったからです。

私は中学受験を経て桜蔭へ。その後も(多少の曲折はありつつも)大きくはドロップアウトすることなく進学・就職へ進みました。かたや夫は私と出会ったときは高卒のフリーター。そこから一念発起して大学を目指し、大卒後は正社員就職を果たします。

夫は中学受験そのものには反対していませんでしたが、親主導で勉強を導くより、子どもの自然なやる気の発火を待つ方が良いというスタンス。「よい学校=偏差値の高い学校」をやみくもに目指すのではなく、長い目で自分の人生を切り開いていく力をつけさせてあげた方が良いという考えの持ち主です。

一方の私は、多少親が引っ張ってでも、小6時点で本人が発揮しうる最高のパフォーマンスで受験の舞台に立たせてあげたいと思うタイプ。勉強には最も効率的なやり方があり、親は可能な限りその勉強のサポートをするべきだという考えです。

こう書くとそこまでの矛盾はなく共存できそうにも見えますが、実際の伴走をするとなると、私たちのやり方は対立しました。

長男の発達特性に合わせた教材の保管管理のしかたまで親主導で工夫し、すべき課題を与えるスタンスの私。まずは長男の自助努力を求める夫。私から見ると夫は「親としてのサポートの務めを果たしていない」ように見え、夫から見ると私は「やりすぎの過干渉」に見える、という風に。

教育ママへの嫌悪を静かに蓄積した夫

実際には教育観の違いはそこまで表面化しませんでした。夫が私の方針に従い、異論をぶつけてこなかったためです。ただ、溝は残ったまま。それは溝というより、夫にとっては古傷のようなもので、それが厄介でした。

前回の記事で夫の生育を巡る問題について書きましたが、夫は親から期待されて育った子供でした。兄は出来が悪いために母からきつく当たられ、夫は自分が母親の叱責の対象にならないよう、用心深く立ち回っていたようです。

義母は教育ママではありませんでしたが、夫にとって親から与えられる「勉強のプレッシャー」は大層なものでした。中学に入って夫が精神のバランスを崩し不登校になったのも、もっと勉強しなければと自分を追い詰めたことが一因だったそうです。そんな生い立ちを持つ夫にとって、サピックス入塾以降の家庭はだんだん耐え難いものになったようです。「そうやって子どもを潰す」「何が好きかなんて考えようともしない」「子どもの興味になんて関心ないんでしょ」……。

夫婦喧嘩になると夫から飛び出してくる台詞には、私が実際に長男に対して何かをした具体的な言動への批判ではなく、子どもを理解し寄り添おうともせずに無理やり勉強だけやらせる「毒親」の存在そのものへの憎しみがあふれるようになりました。サピックスも憎い。オンラインで習っている英語も中国語も憎い。子どもが心底「やりたい」と取り組むものだけが正義で、やりたくないと癇癪を起こす子どもに無理強いするなんてもはや虐待だ、というような勢い。

その嫌悪感は子供がその時の虫の居所で「やりたくない」とごねるような程度をはるかに超えて、家庭での学習はすべてが毒である、という攻撃となって私に向いいました。怒り散らす夫は、私に対して怒っているようで実はそうではなく、私の行動を通して夫の中で呼び起こされた嫌な記憶に対して怒っているようにも見えました。

嫌悪を溜めに溜めた夫とは、具体的な部分(例えば塾を変える、勉強の方法を変えるなど)で調整を進めるための建設的な会話ができませんでした。夫から見える私は、何を言っても聞かないサピックス&偏差値&御三家&学歴信奉者で、話すに値しない人間、になってしまっていたのでした。

長くなりそうなので続きます。次は長男との関係について書いていきます。

トモ子

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