「発達障害というのは、やり過ぎなんです」。太郎の精神科主治医に診断を求め、耳を疑いました。主治医曰く、大切なことは診断をつけることではなく、目の前の子どもの反応とその理由を常に考え続けることだとのこと。それはそれで正しいのでしょうが、親の自問では解決しないから、精神科にまで足を運んでいるのです。発達検査は過剰な医療なのか、考えます。
東大病院の予約が取れた
前回の投稿からだいぶ時間が空いてしまいましたが、太郎の精神科転院へ向けて、かかりつけの小児科で紹介状を書いてもらっていたのでした。転院希望先は東大病院心の発達診療部。電話もなかなかつながらない激戦と聞いていましたが、運よく電話がつながり、10月の初診の枠を予約できていました。
前回のエントリーでも書きましたが、ASD・ADHD・トゥレット症候群を得意分野に掲げていて、その三つがオーバーラップしている太郎にはまさにうってつけの病院です。ペアレントトレーニングも提供されていて、太郎への対応で行き詰っている私にもまさに必要な病院です。
発達検査をしない児童精神科
精神科には当たりはずれがある、という記事を以前書きました。当たりはずれという言い方がちょっと上から目線であれば、患者側が求めている医療が提供されないことがある、と言った方がよいかもしれません。
太郎の場合は、私はきちんとした発達検査と、検査結果に基づく説明、カウンセリングがあれば、と思っていましたが、今の主治医は発達検査をせず、きちんとした診断も付けない、という方針のようでした。7月下旬の初診以降、受けた検査はASD(自閉スペクトラム症)のアンケート検査のみ。しかも、その結果はなかなか知らされませんでした。
アンケートを提出して1カ月。太郎の精神的な症状は休薬後に徐々におさまりつつあり、残った薬は寝る前の睡眠導入剤のみでした。症状が治まったにしても、なぜ一時期は幻覚が見えたり、死にたいと言い続けるほどの症状になったのかについての見解がなく、しびれを切らして診断を求めると、主治医は言葉を選びながら「いわゆるアスペルガーの特徴が一部見られる」と言いました。
発達検査は過剰な医療なのか?
その時に主治医が言ったのは、世の発達検査というのは過剰である、ということ。目の前の患児の様子を見て、なぜこの子はこのような反応をしているのか? と常に考え続けることの方が、子どもにとっては真に必要なことだ、とのことでした。
「まず患児を見よ」という指摘は100%正しいと思います。でも、向き合い続けて答えが出ないから、子どもを精神科にまで連れていくのです。アスペルガー的な傾向があることは気が付いていましたが、アスペルガーであることと、幻覚が見えることは私の中では結びつきません。
例えば、問題が解けないだけでキレ散らかすような特徴も、アスペルガーだからなのでしょうか。「問題が解けない」という癇癪の原因は理解できたとしても、そもそも問題が解けないだけで癇癪を起こすような発達上の特徴は何なのか? という部分の理解にはすぐには到達できません。
一方で、主治医が言うような指摘も、最もだという思いもありました。発達障害についての書籍を読んでいると、グレーゾーンも含めるとクラスの1割がADHDやASDの特性を持っているとあり、人口のそれだけの割合が該当するのであればそれはもはや障害ではなく個性だという見方も理解できます。そのような「個性」のために医療費をかけて各種検査をして、診断をつけていくことが適切なのか? と問われると、確かにある種の過剰なのでしょう。
ただ、私が息子とともに抱えている困難は私が適応障害を発症する程度には厳しいもので、世の発達障害は「過剰な診断」によるものであると言われてしまうと、診断の先にある何かを求めていた私は、それはそれで途方に暮れてしまうのです。
適切な療育を受けていれば癇癪や脱走、文具の破壊などの問題行動を起こさなかったかもしれない太郎にとっても、同じことです。怒りっぽさ、完ぺき主義、規則への固執といった発達障害っぽい特徴と、幻覚や被注察感、希死念慮といった精神病的な症状は、どこかでつながっているはずですが、そのつながり方がいまいち分からない。彼が抱える困難に対して親も学校も適切な関わりをしてこなかったはずなのに、どこまでは適切でどこからが不適切だったのかが、さっぱり分からないのです。
私は診断をもとに情報を集め理解を深めたうえで、今後の対応の仕方を考えていきたいと思っています。学校の先生と相談するにしても診断がつけばスムーズです。その意味で、私にとって発達検査は正しい理解と立ち位置の確認のための、必須の情報です。
改めて転院を決意
それにしても、これだけ発達障害の概念が広く知られるようになり、保護者が簡単に情報収集できるようになった今、「うちの子、発達に何か問題ありじゃないか」と思った時に診断や助言を求めて医療機関に行くというのはとても自然なことです。
問題は受け皿の少なさです。困っている人たちは大勢いて、小児科でも気軽に向精神薬を出す割には、同様に非常に大事な部分である「発達支援」になかなか繋がれない。太郎のような子どもの受け皿である「自閉症・情緒障害特別支援学級」は東京都の設置数は全都道府県で最小となっていますし、親が関わりを改善しようにも、民間でも行政でも病院でも、ペアレントトレーニングを提供しているところは限られます。
東大病院に転院したところで、実際にどのような治療が受けられるのか、ペアレントトレーニングは希望者に対して十分な枠があるのか、は分かりません。しかし、今の精神科にかかり続けるよりは、よりふさわしい関りを模索できそうな気がする。「発達診断は過剰」と言い切った主治医の言葉を聞いて、改めて早い段階で転院へ向けて動いておいて良かったと、感じていました。
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