衣替え迷子な中受母 雪山×ハワイの謎スタイル 本番まで42日

白目トモ子(筆者)
メディアの片隅で生き延びてきた物書き。小学生男児2人を育てる。目下の悩みは不登校で発達特性ありの長男の中学受験。
このページの内容

12月21日

8:00

通年トロピカル

さてお待ちかね、正真正銘最後の模試だ。雲ひとつない快晴、駅から続々と中学校会場に向かう親子たち。冷え込みが厳しくなった朝の空気の中、親たちはダウンジャケットに身を包み、私も万全の防寒対策——と言いたいところだが、私のファッションだけが微妙で、長男が冷たい目で私を見てくる。

「お母さん、なんで上が雪山で下がハワイなの?」

いや、これには深い理由が——いや、全くない。ただ「全振り」した結果がこれなのだ。

ここだけの話、我が家のクローゼットにはまだ半袖がぶら下がっている。いや、ただぶら下がっているだけではない。そこにはトロピカル柄のズボンも健在で、季節感を完全に無視している。夏からずっと教材管理に全振りしてきた結果、クローゼットの管理は完全に放棄された。

過去問の整理、志望校別プリントのコピー、模試結果の分析——次から次に矢のように飛んでくる中受母の管理タスク。しかも、飛んでくるボールは1つではない。卓球のラリーどころか、複数のボールが四方八方から襲いかかるような状況だ。それらを必死で打ち返し、捌き、整理し続けた結果、ファッションは完全に二の次三の次となった。

そんな中、夏に大活躍したトロピカル柄のズボンが、引退のタイミングを完全に失い、冬もなお普段着の主役を続投。かろうじて引っ張り出してきたモコモコジャケットやウールのカーディガンでどうにか冬感を演出している。それにしても「上が雪山、下がハワイ」とは、なんとも秀逸な観察眼ではないか。緊張高まる模試への道中、こんなセンスを披露できるなら、国語の記述も安泰か? と感心して頷く私に、長男はさらに冷たい目を向けた。

「迎えは少し離れたところで待っていてほしい。」

しまった、崩壊しているのはクローゼット管理だけではなかった。最近急に大人っぽくなってきた長男は、母の格好が気になり始めているらしい。確かに、この雪山×ハワイの奇妙なミックススタイルは、冷静に考えれば中学生に片足を突っ込んだ子どもには耐え難いのかもしれない。

長男の冷たい視線を浴びながらも、私は自分に言い聞かせる——大丈夫、それでも、教材管理は無事だ。私のファッションが崩壊しても、志望校合格が見えればそれで良いのだ。それに、異素材ミックスはファッションの王道だ。これは季節感の崩壊ではなく、むしろ地球温暖化ファッションの最先端——というこじつけはもちろん口にせず、謎の微笑みで長男を模試に送り出した。

12:00

「受ける意味ないくらい簡単だった」

「受ける意味ないくらい簡単だったよ」

テスト会場から出てきた長男が、周囲を一瞥して日能研の青いNバッグを持つ親子がいないのを確認し、小声で報告してきた。

「国語は簡単。算数は超簡単。社会も超簡単。理科も簡単。それで僕はよく分かった。サピックスの模試がどれだけ難しいのか。こんなに普通の問題を出す模試もあるんだね。」

そりゃあね、普段あれだけ高難度の問題で修行のように鍛えられていれば、標準的な問題を前に「受ける意味あんのこれ?」とツッコミを入れる余裕が生まれるのも分かる。さすがサピックス。あれはやはり、「悟りを開かせるための経典」だったのだ。長男はその経典を日々読み解きながら、確実に修行僧に仕立て上げられている。

しかし、そんなに簡単だったなら逆に怖いのだが。そういう時は決まって「まさかのケアレスミス」で合計何十点も失点しているものだ。だが今、この期待感たっぷりの彼に「その現実」を突きつけるのも野暮というもの。ここは、期待の波に乗せておくに限る。

「本当に? じゃあ、偏差値70、超えられちゃう?」

私の問いかけに、長男は何も答えずに歩き続ける。ふーん、それには触れたくないんだ。いつもそう。「超えられる」と豪語してしまうと、もし超えられなかった時に格好悪いと思っているのだろう。

「早く自己採点したいな。」

そうだね、ミスなく答えられたか早く確認したいね。長男の言葉に同意しながら、同時に思い返す——小5の頃の彼を知っている身としては、これはちょっとした事件だ。当時はテスト後の結果なんて完全に他人事で、「どうだった?」と聞けば、シュルっと話題を逸らすのが常だった。そんな彼が「早く採点したい」だなんて。この変化に至るまでの長く苦しかった時間を思うと、結果が出る前から少しウルっときてしまう。

14:20

もはやデジャヴュの通塾拒否、からの……

……と順調に模試を終え、帰宅し、途中で買ったマクドナルドを食べさせ、大急ぎで本日の土特(土曜特訓授業)の小テストの予習を済ませて家を出した。これで一息つけるはず。さすがに自分の時間が取れるだろう——と、PCを開きかけたその瞬間、スマホが震えた。

塾にいるはずの長男からだ。デジャヴュ感がすごい。この瞬間が、これまで何度も私を襲ってきたのだ。

「もしもし?」

電話に出ると、長男はiPhoneの向こうで歌っている。車の行き交う音がする。サピックスの校舎には入っていないようだ。

「あ、お母さん?」

長男はすぐには本題に入らない。電話をかけてきた時点でわかる。サピックスに向かう道の途中、足が止まってしまい、混乱の中、次にどうするか相談したいのだろう。「休みたい」「休んでいいのかわからない」その二つの中で、言葉にできずせめぎ合っている長男が眼に浮かぶ。

「言いたい気持ちはあるんだけど、うまく言葉にできない。」

長男の言葉を待つ。

「お母さんから言ってよ。僕はなんて言えばいいのか分からないよ。」

「休みたい」と自分から口にするのが怖いのだろう。中学受験を控えた自分が「休みたい」と言うことへの失望感。それに加えて、私に「頑張りなさい」と諭されるかもしれない、そんな恐れもあるのだろう。しかし、だからと言って何もかも母が先回りして「休みたいの?」と尋ねるのも、避けたかった。それは会話ではなく、自問自答だ。

彼には周囲の人を自分の葛藤に巻き込み、その答えを他者に探させようとする癖がある。それが母子間であれば、なおさら。ひとつひとつの会話一見はなんてことないものに思えるが、少しずつ母子密着を強める。そうしたこれまでの経緯に、私はある種の危機感を抱いていた。

「自分で言ってごらんよ。私は待つよ。」

彼の感情を汲み取って言葉にしてあげない私に、長男は明らかに苛立っていた。電話口の向こうで、微かな唸り声が聞こえる。しばらくして、ようやく長男が口を開いた。

「遊びたいよ、僕は。」

遊びたい、か。午前中に模試を受け、午後にはさらに5時間の授業が控えている。「修行僧」と言いはしたものの、中身は12歳の男の子だ。そう思えば当然の感情——と受け止める一方で、「あと少しなのに」という思いも湧き上がる。「あと少し」が自ら芽生えないなら、親が言葉にしてあげるしかないのだろうか。

「遊びに行ってもいいと思うよ。ただ——」

やってしまった。「ただ——」の後に本音が炸裂する、あのスタイルだ。でも今回は、なるべく結論を押し付けないように、慎重に言葉を選びながら続けた。

「想像してみて。2月1日、どこを受けるか分からないけど、きっと試験の全てに完璧に回答できるわけじゃないよね。合格発表を待つまでの間、『あの勉強をもっとやっておけば良かった』って、ふと過去の自分を思い出すかもしれない。その時に、今日休んだことを悔やむような気持ちが湧いてくるなら、それは少し辛いよね。でも、もし『ここまで十分にやってきたから、今日は休んでもいい』って自分を許せる余裕があるなら、今日は遊んでもいいと思うよ。」

電話越しの沈黙が、少しだけ続いた。答えが返ってくるまで、息を潜めて待つ。

「最後のコマの算数が嫌なんだよ。本当に疲れるの。授業長いしさ。」

本音がようやく漏れた。授業の時間はどの教科も同じだ。算数だけ「長い」と感じるのは、それがまさに長男の弱点を突き、成長させてくれているからこそなのだが、疲れている日は逃げ出したくなるのだろう。でも、母としては逃げ道をみすみす差し出すわけにはいかない。ここでひと押しが必要だ。そういう時のために用意している、最後の切り札を投入する。

「じゃあ、行っちゃおうか。」

「行くってどこに?」

「決まってるでしょ。あそこだよ。回転寿司。もちろん、授業の後にだけどさ。」

20:00

長男を上回るもっとヤバいやつ

と、なんとかかんとか土特は持ち堪えさせ、4コマの授業のうち、3コマに参加。これで年内の土特はコンプリートだ。あれだけ嫌がっていた算数の「最後のコマ」も乗り越え、肩の荷が下りた長男は、すっかり気分も晴れやかだ。そして我々は、目指す回転寿司へと一直線。授業を終えた長男の足取りは軽快で、次に軽くなるのは母の財布である。

「社会は何位でしょう?」

回転寿司で席に案内され、長男が得意げにクイズを出してきた。答える間もなく、満面の笑みを浮かべて自分で答えを明かす。

「ぶっちぎりの1位だよ。完全にクラスで認められた。今日はクラスの子が先生に、『どうやったら白目君みたいに社会ができるようになりますか?』って聞いてた。」

社会については自ら明かしつつも、他の科目については触れないのが、長男の処世術。私もあえて何も聞かずにレーンに流れる寿司を見ていたが、黙っているのが辛くなった長男が打ち明けてきた。

「算数はね、悪かったよ。何点だと思う?」

30点? 20点? いや、15点? どんどん切り下げていくも、長男は首を振るばかり。「もっと悪いの?」とギョッとしながら尋ねると、悪びれもせずに「もっと悪いよ」と言う。

「僕はこんなに悪いのに、今日は前の席の子が算数の採点の途中で泣き出したよ。その子は多分30点くらい。僕よりも良いのに、30点で泣いちゃうんだね。ちなみにね、僕は10点。」

「泣いちゃうんだね」とは、どの口が言うのか。テスト中に顔面蒼白になって会場を抜け出し、受付から電話してきた自分のことはもう忘れたのか。それを言うなら「仲間がいた」でしょうよ。それに、算数が10点ですと? 目を剥いた私を気に掛けるそぶりも見せず、長男はオーダーする寿司を選んでいる。

私はため息をつきながらも、レーンに流れる寿司を数皿選び、食べ始めた。しばらくの間の寿司タイム。長男はいつものマグロ三昧だ。

「なんかバァバと話したくなったな。電話してよ。」

長男が突然そう言い出した。から返事ばかりの私との会話に飽きたのか、私のiPhoneを指差しながら電話を促してくる。ちょうど質問攻めに疲れていたところだったので、渡りに船とばかりに母に電話をかけた。

「もしもし?」電話が繋がるや否や、長男が弾んだ声で話し始め、席を立った。私はやっと寿司に集中できるようになり、何枚か平らげた。ところが数分後、長男が携帯を手にこちらに戻ってきた。そして一言。

「ちょっと、バァバと話してあげて。」

仕方なく電話を受け取ると、母が電話口で何やら熱を帯びた口調で話し始めた。

「太郎ちゃんもすごいけどさ、あんたもすごかったんだからね。」

「……はい?」

状況が飲み込めないまま聞いていると、母が捲し立てる。

「太郎ちゃんがさ、日能研の模試で『お母さんに勝った』って得意気に言ってたのよ。だから言ってやったの!『あんたは3年やってたから当たり前。でもあんたのお母さんはたった1年で桜蔭に受かったんだから、それはそれで本当にすごかったんだよ』ってね!」

……ああ、そう言うこと? いやいやいやいや……そりゃ褒めていただいて光栄ですよ。私の合格話を何十年も誇りにしてくれているのもありがたいですよ。でも、さすがに今、孫の頑張りを素直に褒めるターンじゃないの? 太郎のここのところの急浮上だって「当たり前」ではないよ? それともアレか? 歳をとると強情になるってやつ? 今になっても満たされない承認欲求が、長男の言動で刺激されちゃった?

母の愚痴は止まらず、次は私の弟の発言について何やら話し続けている。困って長男の顔を見ると、長男も困ったように笑っている。やばいやつ選手権優勝候補の長男を苦笑いさせるとは、我が家のバァバも相当な猛者だな。あれ? 猛者から生まれ、猛者を産んだ私は一体なんだ?

「ごめんね、太郎が話したいって言ってたんだけど、今まだ外だから一旦電話切るね!」

頭が痛くなってきた私はサクッと電話を切り、盛大にため息をついて天を仰いだ。そんな私を見て、長男がぽつりと一言。

「バァバにとっては、お母さんはいつまでも誇りなんだね。子供ってそういうものなんだね。」

そういうものなのかね。確かに、そうだとしたら少し納得もできる。そしてふと思う——私も30年後、孫に何か言われて怒る日が来るのだろうか。「あんたのお父さん、太郎だって最後の頑張りすごかったんだからね! あれだけ算数10点取っても乗り越えたんだから! 太郎に勝ったなんて言うでないよ!」なんて。いや、確かに、あり得なくもないかもね、頑張り次第ではあるけどね。

太郎

今はだいぶ落ち着いたけど、相当山あり谷ありの2年間だったよね。

トモ子

何度も塾にも行けなくなったし、発達外来で薬ももらって、やっと調子が整ったよね。調子も成績も整ってきたのは、6年の秋だった。

 
 
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