12月17日
8:00
久しぶりの登校は楽しいようで、長男の話が止まらない。
「なんで、半年前に引きずって学校に連れて行ってくれなかったの?」
いやいやいやいや、待て待て待て待て。それ、親が「行け」と言った時に全力で抵抗してたの、どこの誰だっけ?
「半年も休んで損したよ。3月でもう卒業なのに。週末は学校に行けないのが悲しい。」
あまりのテンションの高さに、こちらは思わず「えっ、同じ人?」と確認したくなる。
登校開始時は保健室までだったが、今週は教室まで行けるようになった。「別に何もしてないよ。休み時間は鬼ごっこしただけ」と、コンビニでアイスを買ったかのようなテンションで言う長男。不登校児が「鬼ごっこ」することがどれほどハードルが高かったかを思うと、親としては泣けてくる。
鬼ごっこをする親友は中学受験をしない予定で、その気楽さも長男の心を軽くしていると思う。学校の同級生のうち、中学受験をするのはおよそ3分の1。そのうち半分ほどがサピックスに通い、互いの偏差値も筒抜けだ。偏差値の序列があることは、長男にとってもはや日常の一部になっている。テストの点がつくことや、リレーで足の速さを競うことと同じように。
それでも、中学受験の世界のシビアさは、他の「序列」とはどこか違う。誰かの成績が上がったと話す時、長男は悔しさや焦りを隠すために、あえて淡々と語る。その一方で、誰かの成績が下がったと聞くと、表面上は気の毒そうに見せながらも、自分ではないことへの安堵が滲んでいる。
成績は、ダイヤモンドの鑑定書に記載される「4つのC」のようなものだと思う。一見、多角的に評価しているようで、結局は商品価値に収束する。本来、どの原石も多様で、来歴は決して同じではなく、それぞれが独自の味わいや形を持ち、フィットする場所も全く別であるはずなのに。
息苦しかったんだな、と思う。学校ではどこかが息苦しく、小学校で学ぶ範囲を遥かに超えた中学受験塾の刺激に惹かれていった。けれど、塾だけが居場所になると、また別の息苦しさが生まれた。
友達と関わることが怖くなり、一人で過ごすことを選んでいたこの期間。気晴らしにレゴブロックで遊ぼうとしては、「僕は何を作りたいのか忘れてしまった」とため息をつき、自分を「空っぽ」と表現した長男。
登校を再開してから、「何が作りたいか分からない」とぼやくことはすっかりなくなった。ミシンでエプロンを縫ったり、体育の時間にボールゲームを楽しんだりと、学校には一人でレゴをいじる以上に面白いことがたくさんあるらしい。いや、「今のところは」かもしれないけれど、今、この瞬間に彼が楽しいと思えることがあるなら、それだけで今は十分だ。
今はだいぶ落ち着いたけど、相当山あり谷ありの2年間だったよね。
何度も塾にも行けなくなったし、発達外来で薬ももらって、やっと調子が整ったよね。調子も成績も整ってきたのは、6年の秋だった。
Coming soon
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