喉仏と声がわりと号泣と謝罪と 本番まで51日

白目トモ子(筆者)
メディアの片隅で生き延びてきた物書き。小学生男児2人を育てる。目下の悩みは不登校で発達特性ありの長男の中学受験。
このページの内容

12月11日

21:00

中学受験年代の男の子って、なんとも微妙な年代。ニキビができ始めたり、声変わりが始まったり、見た目は少しずつ大人びてくるけれど、中身はまだ親に甘えたい気持ちが残っている。不安定さと幼さが入り混じった、絶妙なバランスの時期だ。

今日の長男との会話は、喉仏について。

「お母さん、これ何?」(喉を触りながら)

「え? それ、まさか喉仏?」

「何それ?」

「喉仏ってね、男の人にあるのよ。喉にボコっと出てるやつ。中にあるのは骨じゃない?」

「えー」

「お父さんにもあるよ。それができると、声が低くなるんだよ」

声が低くなると聞いて、ショックを受けた長男は一瞬、声を失った。

「嫌なんだけど、僕。そういえば最近、高い声が出せないんだよね」

そう言われて改めて気づく。確かに声が低くなってきた。けれど、昔と今を比べると徐々に変化していくものだから、一年前の声がどんなだったか、もう思い出せない。受験とともに、子供時代が少しずつ遠ざかっていく。

ニキビができ始めたのは夏休み明けだったか。それから毎朝、洗顔をする習慣が始まった。手先が不器用な長男は、両手でお椀を作るのが苦手で、いつもズボンの股のあたりをびしょびしょに濡らしてしまう。その様子は、まるでお漏らしをしたかのようで、こちらはつい笑ってしまう。

やがて洗顔も上達して、そんな滑稽な姿も見られなくなるのだろう。いや、ぜひそうなってほしいものだ。

「声が低くなっても、お母さんは僕を嫌いにならない?」

何を言ってるんだこの子は。そんなわけないじゃないか。

「嫌いになるわけないでしょ。でも、太郎の方はお母さんのことが嫌いになるかもね」

なんで? という顔をする長男。

「大人になってもずっと親に甘えたままではいられないから、一時期、親がうざったくて距離をとりたくなる時期が来るんだよ。『うるせえクソババア』って言ったり、場合によっては『死ねよ』とか言ってしまう子もいるかもしれない。それでも、そうなっても、お母さんは太郎を嫌いになったりしないよ」

そうなったら大激怒してブチ切れそうだけれど、今は一応こう言っておく。

「良かった。そう聞いて安心した」

まだ素直な長男は、私の言葉を聞いて安堵したようだった。

12月12日

8:00

「僕はやっぱり学校に行きたいんだ」と長男が言った。意を決したような表情で。「勉強があるから行ってはダメ」と言われるのではないかと恐れているような顔つきだった。

学校に行ってはダメなんて、言う訳がない。どれだけ学校に行かせようと苦労してきたか。通学を諦めるまでの間、毎朝校門まで送り、何とか学校との接点を保とうと試行錯誤してきたではないか。「学校に行きたい」という言葉は、我が家では最優先事項だ。私がそれを否定することなどあり得ない。

でも正直なところ、恐れていた事態が起きた、と内心では思っていた。11月に志望校変更に踏み切った背景には、不登校の間に十分な対策を進められるという読みがあった。しかし、その後スランプに陥り、実際には志望校対策が思うように進んでいなかった。冬季講習が始まるまで、あと2週間弱。その間にどれだけ過去問を進められるか。壁に貼られた塾のスケジュール表や過去問のカウントシートを眺めながら、計画を立てたばかりだった。

学校がある時間帯に勉強を入れ始めたのは夏休み明けからだ。それ以前は、学校に行きたくなった時にその動きを阻害しないよう、学校に行っているはずの時間は全て自由時間とし、勉強時間は朝や放課後、夜に設けていた。だが、夏休み明けからは、日中にも勉強を入れるようになった。

学校に行ってほしいと思いながら、今このタイミングでは困るという勝手な願いが頭をよぎる。矛盾しているのは承知の上だ。しかし、「学校に行きたい」と言われれば、答えは一つしかない。

「いいよ。行こう」

そこで止めれば良かった。つい、言ってしまった。

「でも、過去問、どうしようか」

途端に長男の顔が曇った。

「いいよ、行かない。過去問やる」

慌てて言い直す。

「それはダメだよ。学校に行けるなら行って。それが一番大事なことなんだから。今までだって、そのために勉強してきたんだから」

長男は黙っている。

「居場所にたどり着くために、ずっと頑張ってきたんだよね。学校に行けるのに、行かずに家で勉強するのは、矛盾でしかないよ」

少し間を置いて、長男が口を開いた。

「過去問、どれくらい残ってるんだっけ」

「算数と国語は6年分やった。でも理科は1年分だけ。社会は2年分、だから全部で……」

残す過去問の数を言う前に、長男の顔が崩れた。

「学校に行かなくたって、終わらないじゃん」

そう、スランプだった。勉強に集中できていない1ヶ月だった。しょうがない。でも、「しょうがない」という言葉が長男は嫌いだ。それを言うと、まるで見放されたように聞こえるのだという。「頑張ればいい」も、「大丈夫」も、無責任すぎるように思えて、何も言えない。

「……そうだね。でも、それは、気にしなくていいよ。結局、行ける場所に、行ければいいんだよ」

なんてセンスのない声がけなんだ。既に母も子も負け戦だ。

「お母さんのせいじゃん」

長男が、絞り出すように言った。

「別に、元の志望校を受けるんでもいいんだよ。直前まで悩んでいい。合格できそうだと思わなければ、冒険しなくていい。そういう余地は残しているってずっと言っている」

何度もこのやり取りはしてきた。挑戦したい気持ちと恐れの間で揺れる、そのバランスを取るための「両睨み」。しかし、それは長男には通用しないようだった。

「ダメなんだよ。一度でも志望校変えるって決めてしまったら、受けるのをやめたら、その時点で『負け』になるんだ。だから僕は絶対にやめない。お母さんが志望校を変える? なんて聞いたからだ。そんなことを言わなければ……」

長男の声が震えている。

「ダメもと」という思考回路がない子だった。石橋を叩いて叩いて、それでも渡ることをためらうようなタイプ。「負けたくない」「絶対に負けられない」。そんな世界にいる長男にとって、志望校の変更は悪手だったのかもしれない。

さらに、自分が本当にどこに行きたいのかという気持ちと、親がどこに行ってほしいのかという期待を、うまく区別できない子でもある。自分の希望が明確でないうちは、他人の方針や期待をそのまま取り込む「無責任さ」に身を委ねられる。しかし、その状態が長く続くと、どこかで矛盾が生じて苦しむことになる。自分軸の弱さ、自他の境界線の曖昧さ――これらは長男の大きな弱点だった。

しかし、「お母さんのせい」という言葉は聞き捨てならなかった。迷走を重ねた受験勉強をなんとか軌道に引き戻したのは私だ。5年までは目指していた「自走」路線を諦め、完全に監督するスタイルで偏差値を引き上げた。そのことが、どれだけ長男に心の平穏をもたらしたことか。それは長男も常々実感しているはずだった。

「でもさ、『お母さんのせいだ』は、ないんじゃない」

ダメだ。私は長男が何を言ってもサンドバックになって、少なくとも2月までは持ち堪えなければいけないのに。相変わらず考えなしに言ってしまった。

綺麗に整理した棚。「これは必ずやって」と指示されたものを、問題と解答が見やすいように束ね直し、1日1束で取り組めるようにファイリングしたプリント。それらが「偏差値アップ」という形で効果を発揮している間は「お母さんありがとう」。だが、成績の伸びが実感できなくなると途端に「お母さんのせい」なの?

長男の自我が強まるにつれ、いずれ葛藤が生じることは予想していた。その上で選んだ、「母親が完全に舵を取る」戦略が、ここにきてほころび始めていた。ある意味、これは既定路線だ。サラッと手を引けばいいだけのことだ。しかし同時に、絡みつくような後悔が頭をもたげ、私を責めた。育て方のせいか。こんなに弱腰で、自分軸がなく、親のせいにしてばかり。後悔も込み上げる。涙が出そうになり、目を抑えた。そんな私の姿を見て、私より先に長男の涙腺が崩壊した。

「ごめん、そうじゃない、そんなことを言いたかったわけじゃない、お母さんのおかげで今続けられているのはわかってる。わかってるけど、ごめん、ごめん、そうじゃないんだ。そんな風に泣かないで」

何をやっているんだ。ただ、学校に行くと言っただけなのに。過去問についての懸念など口にせず、気持ちよく送り出してあげなければいけなかったのに。

その時、長男と一緒に学校に行けるとワクワクしながら玄関に降りて行った次男の声が、階下から届いた。

「お兄ちゃんまだあ? 遅れるよ」

助かった。

「次男が待ってるから、学校に行って。大丈夫だから。また計画は立て直すから。学校に行って」

「ありがとう、ごめんね」と言い残して、長男は学校に行った。朝から登校するのは、半年ぶりのことだった。ずっと待ち望んでいたはずの朝。なのに、私は安心するどころか、壁に貼った勉強スケジュールを凝視し続けていた。同時に、長男の久々の朝からの登校を喜べない自分を、「母親失格だ」と責める気持ちが頭を離れなかった。

太郎

今はだいぶ落ち着いたけど、相当山あり谷ありの2年間だったよね。

トモ子

何度も塾にも行けなくなったし、発達外来で薬ももらって、やっと調子が整ったよね。調子も成績も整ってきたのは、6年の秋だった。

 
 
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