12月5日
「もっと模試受けたかった」発言 スランプ克服の兆しか?
「もっと模試を受けたかった」。合格力判定サピックスオープンの4回目の成績を受け、長男がぽつりとつぶやいた。模試が全て終わった今になって、それを言うのか。一瞬、突っ込みたくなったが、ぐっと飲み込む。大事なのは模試ではなく、あくまで入試本番だ。モードが切り替わるタイミングとしては、決して遅くない。
長男は11月中旬からスランプに陥っていた。きっかけは志望校の変更。それまでの第一志望を諦めたわけではなかったが、さらに難易度の高い学校を受験日程に加えたことで、日々の過去問演習が一気に新しい志望校のものに切り替わった。
過去問こそが長男のモチベーションの源だった。合格最低点や平均点を超えることで「自分はできる」という実感を得ていた。しかし、新しい志望校ではその感覚が掴めず、目標の不透明さに戸惑いが見え始めた。11月後半の模試ラッシュも拍車をかけた。2週間の間に3つの模試。受ける前から不安を抱え、結果に落ち込み、自分を過小評価する悪循環に陥った。
その結果、問題を投げやりに解くようになり、正答率がみるみる低下。勉強は「理解する」ものではなく、ただ「字を書いてバツをつける」だけの作業と化した。そして、最後のマンスリーでは途中退室、国語の科目キャンセル、通塾しぶり、帰宅後の大荒れ——。日常的に大噴火を経験している我が家では「またか」と流してしまう出来事ではあったが、今思えば「もう限界」と言うサインだったのだろう。
「3日間、勉強辞める」。そう宣言して完全休養に入ったのが5日前。思い返せば昨年もこの時期に「充電期間」があった。その時は「年内は勉強しない」という豪快な宣言とともに、通塾も家庭学習も全ストップ。充電期間明けには、自分の名前の漢字すら忘れていたという伝説が生まれた。
今回はそこまで豪快ではなく、3日間の短い充電だった。そしてその充電明けに放たれた言葉が「模試受けたかった」。久しぶりに目に力が戻った。そして、もう一つの変化が見られた。
学校への再挑戦
「ランドセルどこ?」
長男が唐突に尋ねてきたのは午前11時のことだった。
「はぁ? なんで?」
「学校に行くんだよ」
「え? 今から? なんで?」
学校に行くのに「なんで?」と聞くのも妙な話だが、すっかり不登校のリズムに慣れきっていた私にとっては、まさに青天の霹靂だった。ただ、思い返せば予兆は確かにあった。
1週間ほど前から、長男は次男の登校に勝手について行き、登校路を一緒に歩いていた。今回の不登校が始まったのは6月のこと。それから半年近く、学校からは完全に遠ざかっていた。しかし、その間、長男は自分なりに通学路の「予行演習」をしていたらしい。そしてついに、「満を持して」行動に移す段階に達したようだった。
「ランドセルはクローゼットにしまったよ」
「何時に連れてって」と具体的なアポイントを私に取りながら、弾むようにランドセルを確認しに行った。なんとまあ、人は、変わるものだ。
リビングの棚の一番出しやすい場所に陣取っていたランドセルを片付けたのは10月のことだっただろうか。志望校対策プリントが溜まりすぎて置き場所に困り、迷うことなくクローゼットに押し込んだのだ。少なくとも受験が終わるまでは使わないだろうと思い込んでいた。
かつて学校に行かせようと、引きずるように連れて行った時期もあった。それでも、長男は自分のタイミングでなければ頑として動かなかった。そして今、自らのタイミングで動き始めた彼は、ランドセルを準備し、登校の下見まで済ませ、私に予定を確認するという、抜かりのない行動を見せていた。
「行くとしても、保健室だよ」
「今日は5時間だし、どうせ滞在は1時間くらいだから」
学校に行くと言っても、いきなり教室に戻るわけではない。まずは保健室から始めるというプランだった。ただ、友達に会うことに対する拒否感は特にない様子だった。自分を少しずつ学校に馴染ませ、慎重に感触を確かめる段階にあるのだろう。
親として、どれほど手を尽くしても、子どもの心の核心部分――変化の原動力――を直接動かすことはできない。長男のスランプ克服も、今回の登校も、それを改めて実感させる出来事だった。
心境の変化がコップを満たし、ついに行動として溢れ出たとき、その流れを邪魔しないようガードレールを整えるのが親の役目だ。種を蒔き、水をやり、陽の光を当てながら、結局はその種が自ら芽を出すのを待つだけ。その長い時間を思い返しながら、子どもの行動を見守るしかないのだと、改めて思い知る。
今はだいぶ落ち着いたけど、相当山あり谷ありの2年間だったよね。
何度も塾にも行けなくなったし、発達外来で薬ももらって、やっと調子が整ったよね。調子も成績も整ってきたのは、6年の秋だった。
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