気持ちを書き出し なんちゃってカウンセリング 本番まで31日

白目トモ子(筆者)
メディアの片隅で生き延びてきた物書き。小学生男児2人を育てる。目下の悩みは不登校で発達特性ありの長男の中学受験。
このページの内容

1月1日

6:30

レールが途切れるジェットコースター

ついに2025年に突入した。恐ろしい。恐ろしすぎる。このカウントダウンシリーズを始めたのが12月1日だったので、気づけばすでに折り返しを過ぎてしまった。

振り返れば、これまでの人生、いくつものカウントダウンを経験してきたが、ここまで恐怖を伴うカウントダウンは初めてだ。日々は長男の気分の上下に翻弄されるジェットコースター。おまけに、時々レールが途切れて空中を滑空するという代物。受験本番までも、レールが続いているのかどうか、分からない。

こちらはもはや心を無にし、次に訪れる空中滑空に備えて、安全バーを握りしめるしかない……が、どうやら私の席には安全バーすらないらしい。絵を描いてくれたChat GPTよ、これは何の予言なのか。振り落とされるぞと言う警告か、それとも次は母が飛べという挑戦状か。

さて、そんな中で迎えた元日は、「初日の出を見たい」という長男の想定外のハイテンションから始まり、午後のバンジージャンプのような急下降からの、夕方以降の絶好調へ向かっていった。普段なら親がどれだけアプローチしても、ここまで見事な切り返しは滅多に見られないのだが、今日はドラマティックに決まったので、記録として残しておく。

14:00

我慢の限界

機嫌のコントロールが、長男の最大の泣きどころだ。自分で自分の機嫌を取る術を持たない上に、一度気分が落ち込むと、それを解消することもできない。体調の不調に対する感覚も鈍いため、「疲れている」「だるい」「眠い」といった状態がすべて、ぐしゃぐしゃと絡み合い、言葉にならない不快感として彼を襲う。「眠いと泣く」をいまだに地で行く小6なのだ。

太郎

凸凹中受、いよいよラストスパートだ!

白目太郎の中受のこれまで

小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。

小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。11月にS偏65に到達するも、絶賛足踏み中。

昨晩から続く不機嫌も、例の「不快感の塊」の現れだった。態度の悪さに耐えかねて、私自身、冷静さを保つために1時間のランニングに出たほどだ。私が家を出たのを見計らったように、長男もサイクリングに出たらしい。それでも、戻ってきた時の態度は相変わらず最悪。普段なら、こちらも売り言葉に買い言葉でさらに火に油を注いでしまうところだが、今日はランニング効果のおかげか、余裕を持った声がけができた。

「気分悪そうだね。気持ちを整理するのを手伝ってあげるから、ペンと大きな紙を持っておいで」

長男に持って来させたのはA3のコピー用紙。真ん中に、「太郎」という名前を書く。そして、「今感じていることを何でもいいから、全部言ってごらん」と促してみる。母による、なんちゃってカウンセリングの始まりだ。

しばらく考え込んだ末に、長男がようやく口にしたのは、「マイナスの気持ち」という曖昧な一言だった。「何かが良くない」と、解説を試みている。長男が自分の状態について言葉にできる解像度は、どうやらこの程度らしい。

「他の言葉で言ってみてごらん」と促してみると、「疲れた」「ムカつく」と答える。私は相槌を打って紙に書き込みながら、次の言葉を待った。「モヤモヤする」「ぐしゃぐしゃ」「いい気持ちではない」と続いていく。いくつかの言い換えが出てきたものの、どれも「不快」の説明にとどまっているようだ。

少し聞き方を変えてみることにした。

「それは、焦り?」と聞くと、しばらく考えてから「かもしれない」。「不安?」と続けても、やはり「かもしれない」。

「劣等感?」と聞くと、今度は怪訝そうな顔をして「なんの?」と返された。「同じクラスの子に対してだよ」と説明すると、少し考えた末に「それはほとんどないけど、本当に少しならあるかも」と返答。どうやら他の子との比較に起因する苛立ちではなさそうだ。方向性が少し絞れてきた。

「飽きた?」と尋ねると、ようやく少し核心に近づいたような反応を見せ、「そうそう」と相槌を打ちながらも、「でも、入試だし、飽きたなんて言っていられない」とため息をつく。「じゃあ、我慢の限界?」とさらに探ると、ようやく答えが見つかったかのように、「そうそう、そんな感じ」と顔が綻んだ。

「我慢の限界」ということが不機嫌の原因なのであれば、対処は比較的簡単だ。我慢をやめればいいだけの話だ。自分がどれだけの我慢をしていたのかに気づいた長男は、ようやく滑らかに話しはじめた。曰く、工作がしたいのを我慢している、何かを作りたい——本音を言うと、マイクラをやりたいのだ、と。

受験勉強のラストスパートの中、長男の「作りたい欲求」が溜まりに溜まっていたのだろう。そこで、完全に封印しているマイクラそのものは難しいにしても、「マイクラをやるための準備」という名目で1時間だけ自由時間を設けることにした。

19:00

手応えと自信


1時間の自由時間でノートにマイクラ世界の地図を書き出した長男。リフレッシュした顔でリビングに戻り、驚くことに自ら受験予定校の算数の過去問を取り出して解き始めた。制限時間をきっちり計り、集中して取り組んだその結果は、「バカみたいな失点」がありながらも、受験者平均点を軽々超えている。

既に理社は解いてあった。国語は午前中に解いたものの、「答え合わせは個別でやる」と棚ざらし宣言をしていたのだが、ふと「国語で47点取れてたら合格しちゃう」と気がついたらしい。急にソワソワしはじめ、こちらも引っ張り出して自己採点を始めた。

「何点だったでしょう?」

合格最低点が書かれた採点記入表に自分の点数を記入し、ニコニコしながら近づいてくる。見てみると、4科目で合格最低点を40〜50点は上回りそうな水準だった。すっかり上機嫌になった長男は、昭和の宴会芸のようなクネクネダンスまで踊りはじめ、さらには「もっと過去問やりたい」とおかわりリクエストまで飛び出した。

自己採点した答案を眺める。冠講座で特訓している第一志望校の過去問ではない。しかし、それなりに思考力を要する出題だ。確かに、長男の言う通り「バカみたい」なミスはある。それでも、そのミスを除けば、答案用紙にはきれいに丸を並べていた。

最近の失速具合を見ていると、「全落ち」というシナリオも覚悟しはじめていた。答案用紙に団子のように連なる◯は、そんな心配をケラケラと笑い飛ばしているかのようだ。

——すごいな。あれほど冠特訓では苦戦していたのに、ただ打ちのめされていただけではなかったんだ。まだ芽が出ないだけで、水面下ではしっかり育っていたんだ。

「めちゃくちゃ力ついたね。前だったら、もっとミスもあったのに。特訓の成果、出てるね。」

私が感心していると、長男のダンスがさらに加速した。答案用紙を手に、まるで合格発表でもあったかのような狂喜乱舞。懐かしい。そうだった。スランプに入る前の長男も、こんなふうによく踊っていた。「できた!」「俺いける!」という自分へのプッシュが、彼には必要なのだ。努力が形となって現れたときの手応え。それを何よりの栄養源にして生きてきた子だった。

手応えが感じられないまま歯を食いしばり続けた2ヶ月弱。その間にも着実に実力を蓄えていた証を見せつけられ、「信じることなのだ」と改めて噛み締める。表面がどれだけ荒れていても、努力の蓄積は消えないのだと。

長男が引き当てたおみくじの言葉が浮かんできた。

「進学 焦らず心平かに不断の努力をすれば達成する。」

焦らず、心平かに。それがなかなかできないのよ、と思いながらも、この言葉の重みを実感する。

太郎

今はだいぶ落ち着いたけど、相当山あり谷ありの2年間だったよね。

トモ子

何度も塾にも行けなくなったし、発達外来で薬ももらって、やっと調子が整ったよね。調子も成績も整ってきたのは、6年の秋だった。

 
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