「親が桜蔭卒だと子は苦しいよね」と母に言われた話

白目トモ子(筆者)
マスコミの片隅で息も絶え絶えの記者。週末キャンピングカー住まい。子供との野遊び、中学受験、家計簿、時短収納を記録。自身も中受経験の経験組。

ワーママで記者です。小4の長男がサピックス通いを始めたところです。ある日突然母が、私が在宅勤務中の我が家にやってきて、3時間くらい長居して言い放ったんです。「母親が桜蔭卒だと子供は苦しいよね」って(失礼な話)。確かに長男の中学受験へと動き始めて息苦しさが増した我が家の生活。母親の学歴は影響するのでしょうか。

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「母親が桜蔭卒だと子供は苦しいよね」

タイトルにもしたこの発言。正しくはこんな文脈でした。

「私はあんたが桜蔭入って本当に誇らしかったし、私の人生の最大の誇り。だけど、太郎ちゃんはどうなんだろう。親が桜蔭卒だと子供は苦しいよね。私はあんたの親でよかった。でも子供は不幸だ」

強烈な肯定と強烈な否定。何とも複雑なメッセージを頂いたものです。その後時々この言葉を思い出しては、考えてきました。

わが子への期待は高いのか

つまりね、母の言いたいことはこういうことだと思うんです。

「自分が桜蔭を出ていたら、当然子どもにも御三家に入って欲しいと思うに違いない。できのいい子ならば親の期待に沿えるけど、そうでなかった場合に親を失望させることになる。子どもは大変だ。」

確かに、それは一理あります。私も太郎がサピックスに入る前は、出来が良ければ御三家に行けるのかなと思っていました。正直に言いますと、当然出来が良いと思っていました。

そういう意味で、期待値は高かったのかもしれないけれど、実際の成績を見て現実を受け止めるのも早かった。まあそうだよねと。そんなもんよねと。私はこうだったと言って比較してはいけないし、伸びる分だけ伸びればよいと考えています。

クラスが上がったら何買ってもらえるというような友達もいるようですが、我が家は無縁。そういう意味では母が心配するほどには、成績を尺度に子供にプレッシャーを与えてはいないのかなと思います。

中学受験がほぼ既定路線

どちらかというと、こちらです。中学受験がほぼ既定路線で、気がついたらそのコースを走っていたというところ。そしてそのコースが猛スピードで動き出している。

もちろん、塾に通う前には本人に確認しました。体験授業も受けました。どこの塾に通うかも本人が選びました。そして今も、通い続けることは太郎の意思で選択しています。

でも、でもそれって、子どもが本当に自由意思で始めたものではないですね。親は最初から始めさせるつもりだったし、子どももそれは分かっています。「通わせたいんでしょ?」って。

なんで塾通ってるんだ? というところに、明確な本人の動機がない。かといって、塾に通うのをやめるという選択は、すでに決断しにくい地点にいる。ふんわり始めたのに、撤退のハードルが高い。なぜなら親が中学受験成功組だから。どちらかというとそれが、苦しいところです。

私自身の幸せな中学受験

ところで。私自身の中学受験は幸せなものでした。

日能研に通い始めたのは6年。それまではずっと家庭学習でした。小規模校だったこともあり、入塾するなり成績は校舎内1位。そのままほぼ首位で通して、第一志望に合格。大したスランプもありませんでした。

日能研に入るまで、いったいどんな勉強させてたの? 私、子どもを産んでから何度も母に聞きました。恥ずかしながら子どもの頃は自分が頭いいんだと思っていたんですが、違うんですよね。親がすごいんです。

公文と市販のドリルはやっていましたが、それだけでトップレベルまで成績上げられるなら、親はみんな苦労しません。教材が簡単すぎてもいけない。難しすぎてもいけない。子どものやる気をそいでもいけない。詰め込みすぎてもいけない。

そこそこの地頭があるとして、むら気な子供を机に向かわせ励まし学ばせどう伸ばすか? というところが一番難しいと思うんです。それがなかなかできないから、佐藤ママの教育本が売れる訳で。

桜蔭に子供を入れた貴女の娘だから、私が苦しいんだという話

そして、太郎さんの話に戻ります。そこそこの地頭なら彼にもあると期待して。じゃあ、私が母にしてもらったこと、太郎にしてあげられてんのか? 自問自答します。

できてないです。朝だって余裕はない。夜の残業も多い。在宅勤務で家にいても、太郎が話しかければ怒る。

時間が圧倒的に足りません。なのに必要なサポートは多すぎる。さらには子どものモチベーションを上げて勉強させるっていう、仙人メンタルが必要な役割までこなさなければなりません。そんなもの持ち合わせていないのに。

でも、理想だけは高いんです。それは子供の成績に対する理想ではなく、子どもの教育に奉仕する親の姿への理想。それはそのまま、かつての私の母の姿です。

だから、母が言ったことは修正が必要です。親が桜蔭卒だから子供が苦しいんじゃない。娘を桜蔭に入れた母親の娘だから、私が苦しいってことなんだと。

不幸なスパイラルをどうしようか

そんな風に思うと、確かに「親が桜蔭で太郎ちゃんはかわいそう」この部分の因果関係は回りまわって成立します。私自身がいい教育を受けさせてもらって、そのために子供の教育への理想は高くて、それが叶わなくてイライラしていて、だけど引くに引けなくて、親がしんどくて、結果子どもが可哀そう、という風に。

私の母がそこまで深堀りして考えたか分かりませんけど。確かに太郎、可哀そうです。さあ、この不幸なスパイラル、どうしたら良いんでしょう。こんなんやってられるかって、投げ出したらよいのかなあ。

トモ子

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