「よく受かりましたね」
合格後のお礼の挨拶に行ってきたので記録しておく。SAPIXと個別を併用していたので、両方に行った。どちらでも言われたのは、「よく受かりましたね」という、褒められているのかどうかよく分からない言葉だった。
個別の先生にはこう言われた。「α1に居たわけでもなく、自然と開成を目指す空間でもなかったのに、よくモチベーションを維持しましたね」。
見たことがないので知らないが、どうやらSAPIXにはα1という異世界があり、そのクラスでは誰もが当たり前に最難関校を目指し、自然と切磋琢磨するそうだ。α1にはついぞ縁がなかった長男。〆のα1昇格の可能性があった最後のマンスリーは算数の途中で逃げ出してキャンセル扱いになったし、私の中ではα1は永遠に伝説のままだった。あれは本当に実在したんですか。
さらに付け加えると、最終日時点の所属はαですらなかった。朝に飲んだADHD薬が切れてくる夕方には、頭の中がカーニバル状態になってくる長男にとって、授業点をきっちりとるのは至難の業。「知ってます?先生。最後は長男、クラスはαからも落ちてましたから」。声で笑いながら、笑っていない私の目を察知したのか、先生も同じような笑顔で合わせてくれた。TOMASの面談室に、乾いた笑い声が響く。
「間に合いましたね」
TOMASに赴いた数日後、SAPIXにも挨拶に行った。他の生徒さんもいるのかと思いきや、時間が遅かったのか我々だけ。おかげで、先生とゆっくり話すことができた。
この校舎に通ったのはたったの8ヶ月。授業での出来具合は不安定、メンタルも不安定、もはや突然失踪する系の生徒と見られていたはずだ。最後の最後にアルファベットクラスに落ちていたし、「いやあ……受かったんですねえ……」という声が、心なしか「ミステリーですねえ」くらいのトーンだったのは気のせいではないと思う。
「実力だよな、実力」という妙に励ますような言葉の中や、「力ついてたんだなあ」という驚き交じりの声の中に、先生の動揺と困惑が透けて見えた。そして、極限までオブラートに包んだ表現で「こちらからはご提案できずに……」と申し訳なさそうな顔までさせてしまった。なんでよ。普通に喜んでよ。
しかしまぁ、冷静に考えれば、先生の反応も当然だ。授業には来ない、テストは受けない、クラスは「下にしてくれ」と要求する。普通なら志望校の提案どころか「そもそも受験するの?」と確認されるようなムーブばかりだった。
そんな長男が、11月に突如むくりと起き上がって志望校変更を宣言したのだから、「えっ、動くんですか!?」くらいの衝撃を受けていた可能性すらある。「それは無謀だ」と説得されなかっただけ、感謝しなければいけないくらいだ。
その後もあっという間にスランプに突入し、深海魚生活を満喫していたわけだが、その中でも着々と力はつけた。その片鱗を見せてくれたのが、1月20日に自宅で解いた過去問と、1月26日の最後のSS。最後の伸びをはっきり目撃していない先生方には、開成合格は「まぐれ」に見えていたかもしれないが、一応私から熱弁しておいた。
「家庭では最後の最後に過去問で合格者平均点が取れましたし、最後のSSでも算数が爆伸びしましたよね。あんなこと、あるんですねぇ……!」と。
私に合わせるように、「間に合うかどうかというところでしたが…」と教室長が慎重に言葉を選び、「間に合いましたね!!!」と勢いよく乗っかってくれた。ありがとう、教室長。
お世話になった2箇所へのお礼参りを終わらせて、私の中のモヤモヤが一気に輪郭を持って迫ってきた。
そう、あれ。中高6年深海魚の危機というアレである。