凸凹中学受験で起きたこと(続き)
その10 拒否の壁を越えた先に、爆発的な成長

凸凹中受、ついに終わった!
白目太郎の中受のこれまで
小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。
小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。復帰時のS偏差値は54。11月にS偏68を突破し、志望校を開成中学に変更、合格した。
ここまで、知的能力が高くても、凸凹があると、受験勉強に関しては厳しい戦いになることもある、ということを書いてきた。ただ、それは「伸びない」という意味ではない。多くの人が「発達障害のある子はあと伸びする」と証言しているし、実際に6年後半に成績が急上昇する子もそれなりにいるようだ。
サピックスの場合、上位層の85%は小4時点から固定されているという話もある。そう聞くと「小4時点の成績で決まる」と思えるが、裏を返せば、15%は入れ替えがあるということ。これを多いと見るか、少ないと見るか。私は「それなりに多い」と思うし、特に凸凹がある子供の場合は、「我が家もそのパターンでは」とぼんやり期待するには十分な数字だとも感じる。
長男も、6年の後半に一気に成績を伸ばした。塾を辞めたり戻ったりしていたので非常にレアなケースであるとは思うが、小6の夏時点から最終盤にかけて、偏差値は10伸びた。成績が急伸したきっかけは、単純な努力量の増加ではなかった。それは、それまで「拒否」していたツールを、恐る恐る取り入れ始めたことだった。
今回は、長男の算数の成長過程を振り返りながら、「あと伸び」の裏にあったプロセスを考えてみる。
計算能力は速い、でも新しいスキルの習得は遅い
長男は計算自体は速かった。買い物中の暗算はほぼ正解し、数字を覚えておくのも得意だった。しかし、それは「新しい技術や概念を学ぶ力」とは別物だった。
我々が長男に「中学受験算数」を教えようとしてまず直面したのは、激しい抵抗だった。小4時点の長男の勉強の面倒は夫が見ていたのだが、その頃の勉強時間の大半は「なぜ自分がその勉強をしなくていいのか」という理由を長男が延々と説明する時間に費やされていた。問題を素直に解いている時間など、正味10%もなかった。
その貴重な勉強時間でも、新しい解法を学んでもすぐには使おうとせず、頑なに我流にこだわった。線分図や面積図など、視覚的に整理できるツールを教えても、「そんなものを描かなくても頭の中でできる」と断固拒否。ひたすら自分の計算力で押し通そうとし、途中で詰まっては「わからない!」と癇癪を起こす。
しかし、不思議なことに、半年くらいたつと突然、自分から試し始めることがあった。誰も強制しない状態で、「これは便利だ」と腑に落ちると、そこからは驚くほどスムーズに使いこなせるようになった。結局のところ、受け入れる準備が整うまでは、どんなに合理的な方法でも「余計なもの」として拒絶するのだ。
馴染み深い解き方への執着
振り返ると、長男にとっての学習は、「新しいものに出会う→全力で拒否→しばらく放置→ある日突然できるようになる」という、ある意味で規則正しい4段階構成になっていた。背景にあったのは、新しい概念への拒否感と、切り替えの難しさだ。これはそのまま、不登校を起こした性格の特性だが、同じ心理的な障壁が、そのまま学習にも持ち込まれていた。
彼にとって、これまで学んできたやり方は、馴染み深く、居心地が良く、とても安心できるものらしい。そのため、これまでのやり方に執着する。
例えば、線分図を描けば一瞬で整理できる問題でも、ごしゃごしゃと立式して考え続けた。彼にとっては、式こそが「長年連れ添った相棒」であり、線分図などは「いきなり家に上がり込んできた怪しい訪問者」だったのだ。
この時に他の方法を提案されると「余計なことを言われた」と感じるらしい。「こっちのやり方の方がスムーズで分かりやすい」と力説しようものなら、頭を掻きむしって泣きべそをかき、「僕が悪いと言うのか」と猛烈に反発する。もはや解法の話ではなく、自尊心を揺るがす問題になってしまうのだ。
そんな抵抗を受け、「このまま一生、線分図を使わないで生きていけばいいのでは?」と思ったこともあった。私は諦めの境地だったが、実際にはただの「慣れ待ち」だった。要するに、慣らし保育なのだ。新しい環境に慣れるのに異常に時間がかかるのだ。
この「安心し切れるまでは、他の方法を受けつけない」という性質のため、表面上は「全然成長していないように見える」時期が長く続いた。実際、古いやり方では解ききれない問題で混乱し、「わかんない」と投げ出すことも多かった。ただし、裏を返せば、「自分が納得するまで試す」ことで、新たに教わるツールを受け入れる準備をしていたとも言える。
「慣れ」のフェーズの先へ
そんな足踏み状態が長く続きがちな長男だったが、「慣れ」のフェーズを超えた瞬間、学習の吸収速度が劇的に変わった。それは、算数で言えば線分図やダイヤグラムといったツールの習熟についても言えたし、過去問を解く時の時間配分のような戦術についてもそうだった。
いったい何が、慣れをもたらしたのか?
最も効いたのが何だったのかは、正直なところ、よく分からない。授業で入試問題演習を繰り返し、周りの子が自分よりもスムーズに正答するのを目の当たりにするのは効いた気がする。自分も先生の解説を聞けば分かるのに、演習中に解けないのは悔しいと思うようになったようだった。
かつては「僕のやり方を否定するのか!」と戦っていたのが、「強み」「弱み」「取り入れるべき戦略」といった視点で、ようやく自分の解き方を冷静に捉えられるようになったようにも見えた。
こうした「外圧」に加え、ご機嫌メンタルの維持も重要だった。機嫌が悪い時に解かせても拒否反応が強まるだけで、逆効果だった。
それから、コベツバなどの解説動画を浴びるように聞いたこともおそらく良かった。新たな知識の吸収というよりは、英語を「聞いているうちに耳が慣れる」ようなもので、毎日触れ続けることで抵抗感が薄れた。「新しい解法=自分のこれまでのやり方を揺るがす脅威」ではなく、「馴染みのある便利な道具」として認識できるようになった。
2月が迫り、これまで他人事だった受験が現実味を帯びたことも、拒否感を和らげてくれた。「やらなければならない」という意識が芽生え、新しい解法を受け入れる素地ができた。
複合的な要因で「慣れ」が生じ、ツールが使えるようになると、脳内の処理の速さが効いてきた。思考の負担がさらに減り、それまでの停滞が嘘のように解法を吸収しはじめた。すべての要素が有機的に絡み合い、連鎖反応のように働き、爆発的な伸びに結びついたのは、1月20日以降のことだった。
以下は今後書きたいことのリスト。
今日も授業に行けない!10歳の壁と癇癪と不登校ケアレスミスとの戦い「眠い・疲れている」が分からない授業点が取れない教材以外で学ぶあと伸びを信じる成績の停滞は「慣れ待ち」投薬の効果- 5年秋で凸を見極め
- 記述対策で伸びる
- プロのアドバイスに従え