凸凹中学受験で起きたこと(続き)
その3 今日も授業に行けない!
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凸凹中受、ついに終わった!
白目太郎の中受のこれまで
小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。
小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。復帰時のS偏差値は54。11月にS偏68を突破し、志望校を開成中学に変更、合格した。
凸凹のせいだったのかどうか分からないが、授業に行けないことは日常茶飯事だった。最初に通塾しぶりが現れたのは小4の夏期講習。この時は発達外来にかかりはじめ、投薬が合わずに体調を崩した時期とも重なり、20日ほどあった夏期講習に3日しか行けなかった。
授業に行けない理由を根掘り葉掘り聞きたくなるが、あまり効果があるとは言えない。本人は「友達が怖い」とか「オナラが出るのが怖い」とかその時の気持ちを説明してくれるが、根本的な原因については本人もわかっていないことが多く、後付けで理由を探してストーリーを作っているに過ぎない。
長男は「気圧」「湿度」「眩しさ」などの環境の変化への敏感さに加え、「疲れ」「眠さ」「空腹感」「喉の渇き」など自分の内側からのシグナルに対する鈍さもあった。こうした自分の体の内外から押し寄せる不快感と、それを処理できないことによる混乱が登塾拒否を起こしていることも多かった。しかし、これらを本人が自覚することは難しかった。
「行けない」と言われると、親としては焦る。授業内容は繰り返されると分かっていても、貴重な繰り返しの1回を受けられないと、あとからの学習が大変になるのではないかと気を揉む。しかし、何度も授業を休んだ長男だったが、最終的には何とかなった。それくらい、最後まで大事な内容は繰り返されるし、本人も自分の穴が分かってきて埋める努力を始める。未修分野の存在には気を払いつつもいちいち振り返らず、最後まで走り続けることの方が大事だったと思う。
以下は今後書きたいことのリスト。
今日も授業に行けない!10歳の壁と癇癪と不登校ケアレスミスとの戦い「眠い・疲れている」が分からない授業点が取れない教材以外で学ぶあと伸びを信じる- 成績が上がらない理由
- 投薬の効果
- 5年秋で凸を見極め
- 記述対策で伸びる
- プロのアドバイスに従え
- 直前期の爆伸び
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