「退塾したい」と反抗・口答え 凸凹中学受験の振り返り①

白目トモ子(筆者)
メディアの片隅で生き延びてきた物書き。小学生男児2人を育てる。目下の悩みは不登校で発達特性ありの長男の中学受験。

あくまで n=1 の範疇は出ないが、我が家の凸凹中学受験を振り返っておきたい。これは凸凹キッズを育てる親御さん向けに、絶望と希望をお届けする企画である。どちらかというと絶望寄りになる気がしてならないが、その場合は申し訳ない。たぶんそうなる。

まず最初に断っておくと、ブログに書いていることはほぼ全て真実だ。自分で振り返っても、あまりにできすぎた展開に「最初から全て伏線だったのでは?」とツッコミを入れたくなったが、長男がそこまで計算しているはずもなく、私も脚本家ではない。

ちなみに、凸凹中学受験の体験記といえば、元テレビ東京アナウンサー赤平大さんのご子息の麻布中学合格体験記がある。凸凹についての専門的な知見が深く、正しい理解のもとで対策を講じたい親御さんは、そちらを参考にしてほしい。

一方のこちらは、凸凹に振り回され、本人もサンドバッグになった母も適応障害を発症し、夫婦の亀裂は深まり、ボロボロになりながらも、本人の意思の力でなんとかしがみつき、最後にスライディングでギリギリ中学入試に間に合っただけの、真似をすれば確実に家庭が崩壊する懺悔の記録である。

長男や私自身の通院、家庭に関する部分は今回の記事では立ち入らないが、関心がある人はブログの中に一部の記事を残しているのでそちらもご覧ください。

太郎

凸凹中受、ついに終わった!

白目太郎の中受のこれまで

小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。

小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。復帰時のS偏差値は54。11月にS偏68を突破し、志望校を開成中学に変更、合格した。

このページの内容

凸凹中学受験で起きたこと

その1 「退塾したい」

Xで交流させていただいている凸凹キッズの中には、中学受験塾をやめたり、転塾して出戻ったりと、波瀾万丈な遍歴を辿っている人が少なくない。我が家も例に漏れず、SAPIXは5年10月末で一度辞めたし、その後転塾した中規模塾も2ヶ月で行けなくなった。彼の「転塾したい」「もう行けない」は 季節の変わり目に訪れる鼻炎 のようなもの。「ああ、その季節ね」と諦めの境地で受け入れるしかない。

辞めたところで、戻る確証はない。不登校も併発している場合、親の悩みは特に深刻になる。このまま中学受験もできず、地元の中学にも行けないのでは? 気持ちはわかる。我が家も、2度「撤退」してもたまたまうまく戻れただけで、再現性のある成功例とはいえない。ただ、我が家の場合は、その後も試合は続行した。

長男の中学受験を通じて感じたのは、「退塾したい」は環境調整 だということだ。授業のペースなのか、クラス昇降があるシステムなのか、親の熱意との温度差なのか、何がネックになっているのかはその時には分からない。本人の中では与えられた環境のの何かに拒否反応 を示してしまっている状態と言える。一度休むと、何が嫌だったのか、本人が冷静に消化する時間ができる。この時間は決して無駄にはならない。

長男に聞くと、小6の4月に中規模塾に行けなくなったあと、自分が中学受験をしたいのかどうかについて、真剣に自分と向き合ったそうだ。私は親バカなので、そんな哲学的思考を自分で持ってと知って涙が出てくるのだが、挫折しそうな自分と向き合う経験は、子供の内省力を育てるらしい。

そして、彼は「やはり中学受験にはサピックスが必要」と自分で結論を出して出戻り。その後も何度も登塾拒否を繰り出しながらも、「辞めたい」とまでは決して口にしなかった。

その2 反抗・口答え

小4の頃、長男は大変に反抗的だった。私は、取り掛かれば15分で終わる課題を始める前に、「自分がその課題をしたくない理由」について延々と1時間も話し続ける長男の対応に手を焼いていたが、今ならわかる。反抗・口答えは長男のSOSだった。

次男という、長男とは全く異なるキャラクターを育てていると、あまりの素直さに面食らうことがある。次男も勉強中に不機嫌になることはあるが、その理由は「分からない」「眠い・疲れている」「遊びたい」のどれかしかない。

長男は全く違った。彼は、わからないことに腹を立てているのではなく、自分がやらされていること自体に怒っていた。 遊びたい年齢なのに、なぜこんなに勉強しなければならないのか。努力しているのは自分なのに、なぜ親は偉そうに指図するだけで、のんびり過ごしているのか。なぜ小学校と塾のダブルワークを強いられ、毎日ヘトヘトにならなければならないのか。

そうした理不尽さへの疑問に加え、どれだけ頑張っても「小学生」という立場から抜け出せないことへの閉塞感。思い通りに動かない自分の頭や体へのもどかしさ。そして、その葛藤を誰にも理解してもらえないことへの孤独感もあった。一方で、中学受験の必要性は理解しており、受験勉強に適応しなければならないことも、適応した方が「当面は」楽に生きられることもわかっていた。

そうした葛藤の中で度々爆発した長男の反抗は、ただの口答えではなく、中学受験生という立場に押し込められた自分の状況を、どうにか説明しようともがいた結果だったのだ と、今ならわかる。「嫌だから口答えしている」という一面的な見方ではなく、葛藤を抱えている存在として、もっと丁寧に寄り添い、対話を重ねて理解してあげれば良かったと、今更後悔している。

今後の備忘録

本当は全部書き終えてからアップしたかったのだが、完璧主義な私が「全部書いてから」と決め込むと、今世紀中には公開されない未来しか見えない。なので、とりあえず今週末中に、書き切れた部分だけでも世に放つことにした。

フォーマットさえ作れば隙間時間に書き進められるので、この先、牛の歩みでも前には進むはず。多分、以下に羅列した内容を徐々に書いていくことになると思う。この記事はコメント欄を(多分)開けておくので、聞きたいことなどがあったらぜひ寄せてください。ネタに困ったら採用するかもしれません。

以下は今後書きたいことのリスト。

  • 今日も授業に行けない!
  • 10歳の壁と癇癪と不登校
  • ケアレスミスとの戦い
  • 「眠い・疲れている」が分からない
  • 授業点が取れない
  • 教材以外で学ぶ
  • あと伸びを信じる
  • 成績が上がらない理由
  • 投薬の効果
  • 5年秋で凸を見極め
  • 記述対策で伸びる
  • プロのアドバイスに従え
  • 直前期の爆伸び
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コメント

コメント一覧 (2件)

  • はじめまして。ぶぅと申します。
    2月から新小6、新小4の娘2人を持つフルタイム共働きの母です。

    長男さんの合格、おめでとうございます!
    ブログで見ながら、合格発表の時は我が子の事のようにハラハラして見てました。

    長女はWISCの凹凸差70で、確定診断は受けてませんが、ASD+ADHDで通院、投薬しながらの生活。学校も塾もなんとか通ってますが、環境変化に弱いので、塾の通塾日と時間の変更にヒヤヒヤしています。

    次女もWISCでは凹凸差50を出していますが、こちらはまだそこまで困った感がないということで、様子見。多分ADHDだろうなと思っております。

    長男さんとは似たところがあるなと思っているので、この振り返り記事、とても楽しみにしております。どうぞよろしくお願いします。

    • こんにちは!コメントと応援メッセージありがとうございます。

      お嬢様方の状況含め、子育ての悩み、似ていそうですね。環境の変化に弱いと特に春の生活の変化の時期には気を遣いますよね。これから受験学年、疲れすぎず、ちょうどいいペースで走り続けられますように。

      凸凹振り返りは長くなりそうですがぼちぼち続けていくのでまた遊びに来ていただけると嬉しいです。ブログも遊びに行かせていただきますね!

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