2月3日【後半】 合格を伝え、書類を受け取りに 

白目トモ子(筆者)
メディアの片隅で生き延びてきた物書き。小学生男児2人を育てる。目下の悩みは不登校で発達特性ありの長男の中学受験。
2月1日からの記録
太郎

凸凹中受、ついに終わった!

白目太郎の中受のこれまで

小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。

小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。復帰時のS偏差値は54。11月にS偏68を突破し、志望校を開成中学に変更、合格した。

このページの内容

12:15 指先に書いた「K」のマーク

合否が分かって、急に体が震えてきた。すると、合格発表を待っていた時間とは違う感情の高ぶりに襲われた。「嬉しさ」のような温かい感情とは違う、何とも形容し難い感覚だった。

心配して、心配して、心配し続けた子供の行方が分かった時のような。

緊張が一気に解けて、足元がふわりと浮くような。

安堵なのに、なぜか涙が出そうになる、そんな感覚だった。

長男に早く伝えたい。しかし、まだ彼は受験の最中だった。今は合否のことは忘れて目の前の入試問題に集中しているはずだが、試験が終わったら、きっと不安に襲われるだろう。おまけに、受験番号はかなり遅く、試験終了から退場の案内があるまで、数十分間を教室内で待機することになる。長い待ち時間に耐える長男を思うと、ジリジリした気持ちになる。

合否の伝え方について相談した時、「爪に書く」という何とも冗談のような方法で合意していた。油性ペンを準備しておかなければいけなかったのだが、忘れていた。手持ちのボールペンでは爪には書けないので、左手の人差し指の腹に書く。「K」と書いて、「K」の文字をぐるりと丸で囲む。人差し指を1本立てて見せれば伝わるか。

13:00 出待ちの保護者の中で

結局、長男は試験終了から30分以上出てこなかった。試験終了の15分前に学校に到着してしまった私たちは、何をするともなく、他の保護者の様子を眺めていた。

受験生は1000人超。多少の回避組がいたとしても、夫婦で迎えに来ている人も多くいたことを考えると、千数百人の保護者が集まっている計算になる。3日の学校を受験しているということは、1日校で残念だった人もいれば、1日校や2日校の発表を今日に控えている人もいるはずだ。「いろんな気持ちの人がいそうだね」と、夫に向かってぼそっと呟く。

昨日の時点ですでに合格を手にしている人、これから一緒に合否を確認する人もいれば、受験中に出た結果をどう伝えるか考えている人もいる。保護者一人一人が、何を思いながらこの時間を過ごしているのかは分からないけれど、きっと誰もが、一生の中で味わったことがないような、希望と絶望の乱高下の中にいる。

その感情は、隔たっているようで、隣り合わせだ。「安全」な合格がないことも、「絶対」の不合格がないことも、今日の発表で思い知った。今、私は良い知らせを持って立っていられるが、それは偶然と運が導いた結果にすぎない。少し状況が違っていれば、これから直面しなければいけない子どもの絶望的な顔を思い浮かべながら、ただ沈むような気持ちで立ち尽くしていたかもしれない。

保護者と落ち合った瞬間に飛び跳ねて喜ぶ受験生も何人か目にした。「あ、あの子は受かったんだね」と夫に伝えながら、目を細める。見ているこちらまで温かくなるような笑顔と、身体中からあふれ出る喜び。「でも、両方ダメだったら、この景色見てられないよね」と続けて呟く。倍率が3倍なら、不合格者は合格者の倍になる。つまり、小躍りする受験生の倍の数、これから泣く子供がいるということだ。

この場に立っている親たちは、全員が同じように子どもを励まし、支え、見守ってきたはずなのに。これから何かを伝えなければいけない親は、一体どんな思いで待っているのか。たった1問、たった数点の差により、あまりにも違う景色を見せる、中学受験の残酷さを改めて目の当たりにする。

13:20 合格したのはどっちだ?

長男の反応は、あっさりしていた。

「K」と書いた人差し指を立てて待っていると、まっすぐに近づいてきて指を掴み、「はい、分かった」と笑いもせずにたった一言。そして、不機嫌そうに「なんでお父さんがここにいるの」と聞いてきた。

どうやら、「合格していればお父さんが書類を受け取りに行っているはず」と考えていたようで、遠目に夫の姿が見えた瞬間、「ダメだった」と思ってしまったらしい。

「ああ、それね。ダブルで受かってたら行ってもらうつもりだったけど、一校だけだったからね。」

そう伝えながら、悪いことをしたなと思う。たった数秒のことだったとはいえ、「ダメだった」と思った瞬間の気持ちを想像すると、私まで胃がギュッとなる。校庭から道路に出ながら、長男ががっかりした声でつぶやいた。

「開成はダメだったんだね。」

——え?

「いや、違うよ。ほら。」

もう一度、指を見せる。

「え?何これ?『し』じゃないの?」

「違うよ。『K』だよ。」

「なんだよ、『し』だと思ったよ。」

長男が「信じられない」という顔で笑う。

「え? じゃあ渋渋はダメだったの?」

どうやら、二重に勘違いしていたらしい。「ダメだった」からの「渋渋だった」からの「開成!?」。なんともまあ、目まぐるしい1分間だ。やっぱり指で伝える方法は大失敗じゃないか。笑いながら私も返す。

「そうだよ。渋渋はダメだった。でも、開成は受かってた。」

そう伝えると、長男は「ちょっと待ってよ。なんで渋渋ダメで開成に受かってんの?」と頭を抱えた。

——反応、そうなるよね。私もそうなったよ。

15:30 入学書類を受け取りに

「合格したら行こう」と約束していた新宿駅のハンバーガー屋さんでのランチを経て、ようやく少し落ち着いた長男と、西日暮里に向かった。

入試の日からたった2日しか経っていないのに、まるで別世界のようだ。前回来たときは「受験生」として。今回は「合格者」として。長男がこれから6年間を共に過ごすことになる同級生たちが、校門の前で記念撮影しているのも見える。

2日前、長男を送り出したときは、彼が「挑戦者」から「合格者」になる未来を、想像することすらできなかった。なるべく学校の中に思い出を残さないように、保護者控室にも入らなかったくらいだ。けれど今、同じ門をくぐり、同じ建物を見上げているのに、校舎の空気がまるで違って感じる。

事務受付で受験番号を伝える。待つ間、「あれっ?番号が見当たりませんね?」と怪訝な顔をされるのではないか、というありえない不安がよぎったが、当然のことながら、杞憂だった。事務の人は「こちらですね」と言いながら、長男の名前が記載された合格証明書と、入学手続きの書類一式が入った緑色の封筒を手渡してくれた。

「うわぁ、本当だったね」。長男の名前が「ペンと剣のマーク」の上に書かれていることに感動しながらも、まだどこか現実味がない。それは長男も同じようで、受け取った合格証をまじまじと見つめ、裏返し、また表に戻している。

「これ、僕の?」

「そうだよ。名前書いてあるじゃん。」

2日前、あの試験会場で、彼はどんな気持ちでペンを走らせていたのか。必死に答案を埋めながら、ここに戻ってくる未来をどれほど現実的に想像できていただろうか。目の前の問題に食らいつき、合格を目指してページを繰る先に、その後の「日常」があることを、どこまで意識できていたのか。もしかすると、模試のように、合格すればそれで「終わり」のような通過点として捉えていなかったか。それは私も同じだった。

しかし、この校舎は、もう「受験会場」ではなく、長男が通う「学校」になったのだ。受験生としてではなく、合格者として、ここにいるのだ。そう思った瞬間、胸の奥から何かが込み上げてきた。これまでの苦しい日々、泣いた日、怒った日、悩んだ夜——全部が、この一枚の紙に収束している気がした。

ここが、長男の、学舎になるのか。卒業してから10年後に帰っても、30年後に帰っても、変わらずにここにある学舎に。一生ものの、母校に。

「よかったね。頑張ったね。おめでとう。」

何回目かも分からなくなった「おめでとう」に、初めて実感がこもった。

2月1日からの記録
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