12:10 塾に合格報告の電話
SAPIXとTOMASに開成合格報告の電話をするも、まったく現実味がない。「合格しました」と伝える、私の声のみが泣いている。本当に合格したのか? 何かの見間違いではないのか? 自分の目で合否を確かめたのに、疑いたくなる意識を消し去れない。
SAPIXに電話すると、受付の人の「おめでとうございます」ののちに、教室長に変わってもらえた。声が上擦り、涙声でまともに話せない。「開成に合格しました…」と報告する声が震える。先生が、何やら話している。「志望校の変更直後には、開成の合格確率については厳しい見通しを示しましたね」ということらしい。
そうだった。志望校を開成に変更した11月、先生に伝えられたのは、「今から目指すとしたら、合格確率は30%」と言う数字だった、実際に、最後の最後までまで、合格確率は30%で、50%を超えられなかったと思う。「開成に合格を頂いて…」と伝える私の声が泣いている。信じられない。落ちたと覚悟していたのに。
12:00 開成の合否は
ここで開成に落ちたら、戦いは一層厳しくなる。今日の受験校に向かった長男の様子を見ていると、渋渋で頭が真っ白になった時のように、また何かがすっぽり抜けてしまっていてもおかしくない。
どうせ落ちているのなら、早く知ってしまいたい。渋渋の時と違い、今はもう「合格を確かめる」のではなく、「不合格を確かめる」心境になっている。
「渋渋の5日、出願しないとね」と独り言のように呟くと、「まあ、一応、開成の結果は待とうか」と夫が返す。確かにね。万が一開成に受かっていたら無駄な出費になってしまう。後から出願することになるのかもしれないが、まずは開成の結果の確認が先だ。
発表を待つ時間が、拷問のようだ。結果が出るまでは、どこかわずかな希望を持ってしまう。それが打ち砕かれるのなら、いっそ早くその事実を突きつけてほしい。4日も5日も受けるのだ、戦いはまだ終わらないのだと覚悟を決めて、次に進む方が楽だ。そう思いながらも、心のどこかでは「もし受かっていたら」という淡い期待が消えない。期待するから苦しいのだ。でも、ここで期待しない親なんているのか。
合格発表の時間が迫り、また脈拍が速くなってきた。「不合格」という結果を受けてもショックを受けないように、落ちている方に気持ちを合わせる。「ない。番号は、ない、番号は、ない。期待しない」と言い聞かせながら、11時59分を示し続ける時計を凝視する。心拍が早くなりすぎて、吐き気がする。
そしてついに、12時になった。リロードするも、すぐにはリンクが表示されない。「タイムラグがあるのか」。HPにはリロードしないように注意書きがされていたが、とてもじゃないが待っていられない。リロード。再度のリロード。数十秒ののちに、PDFへのリンクが表示された。「出たよ」。夫と顔を見合わせ、PDFを開いた。出願をギリギリまで迷っていたので、受験番号は最後の方だ。PDFをスクロールして番号を探す。
「このあたりか、もうちょっと先か…」画面の上をなぞるように指を滑らせる。最後の方まで番号を探し、一瞬、目を疑った。
「えっ?」
手元に持つ受験票と照らし合わせる。私が悲鳴のような声を上げるのと、夫が向かいの席で拳を振り上げるのが同時だった。隣の席で商談をしていた中国人がびっくりしてこちらを見ている。
もう一度見る。一桁一桁、照らし合わせる。受験票が正しい学校のものを持っているかを確認する。もう一度、学校のHPに戻ってからリンクを飛び、正しいPDFを表示しているか確かめる。
間違いではなかった。握りしめている受験票と同じ番号が、合格者の中にある。
合格だ。
開成に、合格したのだ。
嘘でしょ。
あの子が、開成に?
11:50 長男に何と伝えればいいのか
渋渋は残念だった。でもどこかで、予想していた。「国語で心臓がバクバクした」という発言。「共産党の産がわからなくて平仮名で書いた」という告白。算数で気がついたら時間が終わりそうだったという報告。試験後の言葉の端々から、平常心ではなかった長男の姿が見えた。
「やばいね」。夫が、表情を失ったような顔で呟く。
渋渋は落としたくなかった。我が家にとって開成はチャレンジだ。11時発表の渋渋を押さえた上で、12時の開成の発表を待ちたかった。
ふと、テーブルに置きっぱなしの渋渋の受験票が目に入り、カバンに放り込んだ。11時の発表で渋渋に合格していたら、これを持って夫に学校に向かってもらうはずだったのだ。だからこそ、2人で待機していた。この受験票はもう必要ない。「忙しくなるかもな」なんて構えていた自分がバカみたいだ。そして、長男に何て伝えよう。
「でも、今日は開成の発表もあるし」。自分に言い聞かせるように呟くと、「でも正直、渋渋がダメで開成に受かると思う?」と夫が返してくる。
それは、私にもわかっている。しかし、渋渋に落ちた原因は、開成に合わせすぎたためだ。算数の時間配分を「ミスった」のは、時間配分の感覚が、比較的余裕のある開成に合ってしまっていたから。ぴったりと開成に照準を合わせたからこその不合格だと、言い聞かせようとしていた。
二つの気持ちが自分の中でせめぎ合う。「大丈夫だったはず」と信じる気持ちと、「今日の午後からさらに続いていく入試に備えなければ」と切り替えようとする気持ちと。12時が迫るにつれ、さらに手足が冷えていく。暖房が効いているはずの室内で、体温が保てない。コートを着込み、マフラーを巻いて、さらに両手を脇に挟む。まるで、だるまになったかのように、動けない。
2月1日からの記録
凸凹中受、2月1日開成受験へ向けラストスパートだ!
白目太郎の中受のこれまで
小4でS入塾。S偏55からスタート。同年、発達特性と高IQが判明。ADHD薬の服薬で落ち着きのなさはおさまり、クラスはαに上昇。
小5秋に大失速、サピックス退塾。転塾、再度の退塾を経て小6の夏前からサピックスに復帰。復帰時のS偏差値は54。11月にS偏68を突破し、志望校を開成中学に変更した。
11:00 渋谷渋谷の合否は
今日は2回の合格発表がある。11時に渋谷渋谷、12時に開成だ。まずは11時の発表を祈るような気持ちで待つ。PCを開いて仕事をしようとするが、もはや文字が上滑りして頭に入ってこない。もう時間になったかとPCの時計表示を見ても、時間が1分ずつしか進まない。
10時55分、56分、57分、何度見ても何度見ても、11時にならない。さらに時間の進みがゆっくりになったような気すらする。私のPCで合格発表を確かめることとして、2人で画面を見られる角度にPCをセット。学校のトップページを開いて待機する。
心臓の拍動が早くなる。ただじっと座っているだけなのに、耳で心臓の音が聞こえそうな気がする。10時59分。あと何秒だ。時計を凝視する。遅い。ここは時間が歪んでるのかと疑うレベルで時間が遅い。
11時になった。即座にリロード。時間通りの現れた合格発表のリンクを見て、息が止まりそうになる。「出たよ」。夫に伝え、リンクをタップする。一瞬、目が迷う。並ぶ数字が、縦に進むのか、横に進むのかを判断するのに1秒。画面をスクロールしなければと判断するのに1秒。近い番号が目に入る。
「ない」。
夫が先に言った。
ない。長男の番号は、なかった。
「まじかー」。夫が天を仰ぐ。私は何も言えない。一気に指先が冷えていくのを感じる。
10:00 ファミレスにて夫と合流
結局、長男が受験している学校から30分ほど歩いた場所にある、小洒落たファミレスで過ごすことにした。今日は有給を取っているが、少しだけ片付けなければならない仕事がある。同僚から金曜までに届くはずだった資料の件を確認し、何本かメールも打たなければならない。
昨日までは、今日に仕事を残していることが気がかりだったが、むしろ作業があることがありがたい。合否の行方に引っ張られそうになる意識を戻してくれるようで、少しだけ冷静になれる。気がつけば、合格発表までのカウントダウンを一瞬だけ忘れていた。
「昨日は全然寝られなかったんだよね」と夫が話す。人それぞれ、心配の形は違うらしい。私は眠れないことはないが、代わりに、食欲がまるで湧かない。「そうだったんだね」と返して、会話が続かない。
8:00 送り出し完了
今日の送り出しが完了した。長男の頭の中は、今日の試験よりも、もうすぐ発表される合否のことでいっぱいのようだ。そんな長男に、私からアドバイスを伝えた。
テストの前や休み時間に、持ち込んだ教材を焦って頭に叩き込もうとしないこと。それよりも、自分自身に意識を向けること。そのために、自分の呼吸を数えてみる。心臓の音を聞いてみる。右手と左手のどちらが暖かいか感じてみる。足の指がちゃんと5本あるか数えてみる。そうやって今の体の状態に集中することで、雑念を手放し、落ち着きを取り戻すことができる。
真剣に伝えていると、「なにそれ宗教?(笑)」と笑われた。そうだよ、宗教だよ。白目教。だから、疑わずに信じること。落ち着けば、今日の試験は絶対に大丈夫だから。
3日目。疲れも出てくる頃だ。最後まで、集中を切らさずに戦えるか。大丈夫かな。
7:30 最寄駅を回避 学校まで散歩
1日目、2日目とは違い、緊張が高まっている様子の長男。少しでも気分を変えられるようにと、最寄駅を回避し、少し遠い駅から学校まで歩くことにした。最寄駅からの道には、すでに受験生の列ができているだろう。それを考えれば、正しい判断だった。受験生の姿はあるにはあるが、まばら。周りのペースを気にせずに歩ける。
前を歩くNバッグの3人組の関係性について考える私。距離が近い2人は母と子だろうけど、少し離れて、でも同じペースで歩く髪の毛がサラサラの女性は誰だろう。大学生くらいに見えるが、姉か? 小6のきょうだいにしては年上すぎるか? あるいは激励に来てくれた家庭教師の先生? 流石に、それはないか。
対する長男は、まったく周りを見ていない。その代わり、しきりに私の声量を気にし、「もっと小さい声で喋って」と、顔をしかめながら要求してくる。どうやら、私の声がやけにうるさく聞こえるらしい。これは、神経が過敏になっている証拠だ。全身が耳のようになり、すべての音を過剰に拾ってしまう。緊張感と不安が、必要以上に五感を研ぎ澄ませてしまう。
昨日は、重要指名手配犯の名前をそらんじてみせるほどの余裕があったのに、今日はまるで別人だ。心配の度合いひとつで、ここまで変わるものなのか。まるで振り切れたメトロノームのように、極端から極端に振れる。試験開始までに、この振れ幅をコントロールできるか。冷静さを取り戻せるか。長男の様子を見ていると、私まで落ち着かなくなってくる。
7:00 途中駅でモーニング
途中駅で朝食をとって受験会場へ向かう。何度も「今日発表の学校は落ちた。だから午後まで頑張ろう」と自分を奮い立たせる長男。
どうにもソワソワするようで、モーニングを半分も食べていないのに「行くよ」と立ち上がろうとする。「まだ食べ終わってないよ」と伝えると、「あ」と間の抜けた返事。そしてお腹をさすりながら、「胃がキリキリする」と訴えてくる。私の手を取り、自分の胸に当てて、「昨日、心臓がバクバクして、はち切れるかと思ったんだよ。死なない?」と聞いてくる。
5:20 長い1日の始まり
朝起きると、夫がコーヒー豆を挽いていた。私が起きて顔を合わせるなり、ふたりしてため息。
夫は、長男の「社会が余裕すぎたから途中でトイレに行った」という発言で、もうダメだと確信してしまったらしい。「最後まで粘り切る子しか勝たない」というのが彼の持論。
いや、確かにそれはそうなのだけれど、試験中にトイレに行っただけで不合格が確定するなら、受験業界はもっと早くから注意喚起しているはずだ。本人は「どうせ見直してもこれ以上直すところはない」と割り切った上での判断だったらしいし、むしろリフレッシュできて良かった、くらいのことかもしれない。
とはいえ、不安は募るばかり。
私は——栄東での「絶対落ちた」発言の割に健闘していたこと、逆に模試では「楽勝」の時ほど撃沈していたことを考えれば、彼の「できた」は「できていない」、「死んだ」は「健闘した」くらいに補正すべきだと思っている。であれば、片方は合格しているはず……などと、都合のいい推論を重ねている。
今日は、長い1日になる。