記者でワーママです。迷える家族の迷える日々を記録しています。もう10年以上前の話ですが躁うつ病の夫と結婚しました(今もなんとか継続中)。迷いは普通の結婚程度にはありましたが、それ以上にはありませんでした。夫の家事能力の高さが、躁うつ病というマイナス面をを補って余りあると思ったから。結婚12年目を迎えてその評価は?
大根1本使い切り料理をささっと作る夫
いきなりですが、のろけます。今から10年以上前のある日、仕事でそれはそれは大きな大根を1本もらって帰ってきたんです。でも私自身は大根が好きではなく、かつ、当時は平日は夜まで仕事で自炊は週末にするかしないか。大根1本あっても絶対使い切れない、一体全体どうしよう、と思っていました。
そうしたら当時彼氏だった夫が、ささっと夜ご飯作ってくれたんです。大根のステーキと、大根の味噌汁と、大根のサラダと、大根のひき肉のあんかけ。私が苦手なのも知っていて、「きちんと臭みないように作ったから、食べられるはずだよ」って言って。
もちろんしばらく付き合っていたので普通に一緒に自炊してご飯食べることも沢山ありましたが。まるでESSEに出てくるような使い切りレシピ。ビビりました。
どんな好条件よりもレアだと思った
本人には言いませんでしたけど、このまま付き合っててどうなるのかなと思っていた頃でもありました。私は大学院まで出てマスコミで記者。かたや彼は通信高卒のフリーター。親のコネがあるとかも何もない、ただのフリーターでした。
あるサークルで知り合って付き合い始めたはいいものの、結婚…となると何も具体的に考えられない。やはり気になるのは彼のバックグラウンド。あまりにも違う。何周も遅れての大学受験を目指してはいましたが受かるかも分からない。ましてや大学を卒業して正社員になれるのかすら、当時は分かりませんでした。
ですが、大根一本で一汁三菜つくれるなんて、どんなハイスぺ男子よりレアだとも思いました。嫌な言い方になりますが、いわゆるいい大学を出ていて、いいお給料をもらっている男性と出会う機会は沢山ありました。でも、そのうちの誰も、大根1本で私に夜ご飯を作ってくれるとは思えなかったのです。
年収はいらない、ご飯が欲しい
身の回りの有人は当たり前のように、そんな男性たちと結婚していっていた年頃。何とか銀行、何とか物産、コンサルに医者に会計士。高望みしてそうなっているというより、ある程度のキャリアのある女性が相手を探そうとすると、自然と相手もキャリアのある男性になる。そういう環境でした。
結婚していく友人に囲まれ、漠然とした不安を抱えていました。結婚前から激務で会う時間すらなかなか取れないような男性、いったいどんな家庭を築けるのか? 私の仕事も忙しいのに、子どもが生まれたらどうなるのか?
当時は今ほどには男性の家事育児へのかかわりが叫ばれていなかった時代です。大手企業勤務の男性に家庭での役割を求める、戦略もロジックも女性の側にはありませんでした。ただ、結婚前から諦める、知らぬまま突き進むほかには。
そんな時目の前に現れたのが、フリーターで精神不安定だけど大根1本で晩御飯作れる今の旦那だったという訳です。肩書を考えると結婚は考えられない。でも、結婚後の生活を考えると、彼以外の男性との結婚は考えられない。
肩書と手料理、どっちが大事か? 答えはご飯でした。年収なら私が稼げばなんとかなる。だけれど、仕事を続けて子どもを産んで1人でご飯を作れる気はしませんでした。
家事を巡って争わなくて済むメリット
ここまでほとんど躁うつ病の話題が出てきていませんが、それがそのまま、私の優先順位です。躁うつ病であることは確かに大きな問題ではありましたが、家事負担を巡って夫と争わなくて済むということは、大きなメリットでした。躁うつ病というデメリットを補って余りあるくらいの。
結婚12年目を迎えて、彼と結婚して良かったと思います。もちろん人並みかそれ以上の喧嘩はあります。不満もないと言えばうそになります。
でも、不満を圧倒的に上回る感謝があり、その多くを「彼が毎日夜ご飯を作ってくれている」という部分が占めています。子どもが小学生になりだんだん私の業務も重くなる中で、夜ご飯の心配をしなくて済むのがどれだけ有難いか。
もちろん料理にとどまらず価値観の一致的な部分もありますが、やはり胃袋って大事で。おいしい夜ご飯を頂くたび、肩書や病気を気にして別れないで良かったなと、こっそり思うのでした。
躁うつ夫の10年史として、結婚してからこれまでの歩みを振り返ります。1年くらいで書き終えれば良いなという感じでぼちぼち書いていきたいと思います。
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