夫は躁うつ病です。双極性障害ともいいます。Ⅰ型(激しいほう)とⅡ型(マイルドなほう)の2種類がありますが、マイルドなⅡ型のほうです。双極性障害との暮らしは生活そのものなので、ブログのテーマとして切り出しにくいのですが、ちょっとずつ書き進めていきます。まずは、11年一緒に暮らして分かった、闘病に大事なこと。
どんな症状が出るのか
治療開始前
双極性障害は「躁」と「鬱」を繰り返す病気です。10何年前に出合った時は躁状態。でも、Ⅱ型は躁状態がマイルドに現れるので、そこまで違和感はありませんでした。具体的には毎日3時間睡眠でもピンピンしていて、やりたいことが色々あって、様々なコミュニティに積極的に参加していく、という状態です。
金遣いも少し荒くなります。ただ、もともとの金銭感覚に大きく左右される部分なのか、夫の場合は「ほんのちょっと」。普段は服なんか1枚も買わないのに突然シャツを買ったり。普通の人の買い物の範疇を出ないので、ややわかりにくい。
躁状態は長続きせず、やがて鬱症状が現れます。当時通っていた学校に行けなくなり毎日寝たきりに。ずっと布団の中にいる日が続きます。
また、躁でも鬱でもない「混合状態」というものも現れます。原因なく何かにイライラし、周囲に原因を探して難癖をつけ始めます。躁も鬱も別に私には大したダメージはないのですが、混合状態はとにかくしんどかったのを覚えています。
治療開始後
どのように治療に至ったのかについてはまた長い話なので今は割愛。合う薬が見つかり、治療を始めます。薬の主眼は気分が上がりすぎないように抑えること、気分を安定させることです。
今も軽い躁状態はあります。気分が良くなって仕事にまい進する、普段なら朝起きられないのにやたらすっきり起きてくる、歌を歌う、といった程度。どれも、普通の人が気分良いときに何気なくしている行動です。これら、夫にとっては軽躁の状態として現れます。
鬱状態もだいぶ抑えられています。欝々とした気分が数週間にわたって続くことはあっても、基本的には出社して働ける状態です。時々有休を使って仕事を休むことはありますが、1日寝れば出社できる程度には回復します。
ただ、イライラが止まらない混合状態は以前より定期的に訪れるようになりました。軽躁があらわれて4~5日後、たいてい理由なく不機嫌になり、言葉尻を捕らえるようなところから喧嘩が始まります。
そんな波風はありましたが、波風が立つ期間は全体の5%くらい。多いか少ないかは感覚によると思いますが、私の感覚からすると、「(昔と比べれば)圧倒的にまとも」。そんなわけで、何とか今まで、結婚生活続けています。
治療を続けられたのは貴重なこと
症状が何とか抑えられている今の状態、とても貴重なものだと思っています。彼は一時自助グループのようなものに参加していたこともありますが、治療をきちんと継続して受けられることが、当たり前ではないからです。
薬の副作用がつらい、薬が合わない、先生と折り合いが合わない、もう病気だと思わない…。様々な理由で治療を中断し、再発する人が多いそうです。幸い我が家はもう10年以上欠かさず薬を飲んでいて、大きな再発なく過ごしています。
病気と付き合う上で大事なものは?
薬
当然ですけど、薬です。彼は今デパケン、セロクエル、ロゼレムを飲んでいます。この組み合わせに落ち着くまでにいくつもの薬を飲んできましたが、薬のソムリエかよってくらい、薬がどこに効いているかがわかるそうです。
薬をきちんと飲むということと、薬の効果を細かく観察・自覚すること、その両方が大事なのだと思います。ただ、当然のことながら薬には効く・効かないがありますし、副作用もあります。効果を感じにくかったり、眠気や倦怠感、気分の落ち込みなどがつらかったりしてやめてしまう人がたくさんいます。
素直さ
治療の肝は「薬を辞めずに淡々と続ける」という部分になってきます。彼が薬を続けられたのはなぜか?と思うと、合う薬が見つかったことに加え、病気を受け入れて飲み続けた彼の素直さがあるように思います。
10年以上治療していて「薬飲むのやだな」と言ったことがありません。飲んだら翌朝起きるのがつらい、薬のせいで気分が抑えられてしまっていると分かっていても、必ず飲む。素直で几帳面で真面目あるってことは、治療にプラスに働きます。
睡眠
薬並みに大事なのが、睡眠。躁うつ病というのは、疲れを疲れと感じない病気です。通常の人がヘトヘトになるはずのところ、むしろ気分爽快になって動き続ける。そしてある日、脳のある機能がストップするような形で、バタンと倒れてしまうのです。
だから、睡眠が大事。寝たくなくても必ず夜は寝る。大きな変化があったら寝る。気分が良いことがあっても、寝る。友達に久しぶりに会ったら、寝る。とにかく、気分が上がるような出来事があったら、その日と翌日は良く寝ることです。
そして朝はきちんと起きて、朝日を浴びて気分をリセットする。即効性はなくてもこういう生活を守ることが、とってもとっても大事です。11年見ているとよくわかりますが、躁転しそうでしなかったときは、きちんと睡眠をとった時でした。
家族のためにという思い
薬を飲み続けるのは辛いことだと思います。私がその立場だったら続けられるか分かりません。それを続けているのは、奥さんである私と別れたくないという強い思いがあるんだと思います。
これまでも何度も「別れる別れない」の修羅場があって今に至っているわけですが、そのたびに深く反省して、真面目に治療に取り組んでいます。投げ出さないのは、もしも投げ出したら、そこ時点で今の生活は失われると分かっているから。
家族と一緒にいたい、家族のためにも治したい。そういう思いが最後の一点で彼を支えているのだろうと思っています。
身近な観察者
彼の場合は妻である私のことです。長いこと一緒にいると、瞬きの仕方、目線の合わせ方、独り言で発した言葉などから、躁転の兆しを感じ取ります。そして、それを事細かにフィードバックしています。
「ちょっと躁っぽいよ、大丈夫?」「寝たくないの分かるけど、早く寝てね」と。
手遅れになっていなければ、アドバイスを聞いてくれます。数年前までは忠告すると喧嘩になっていましたが、聞いておくと症状が悪化しないと身をもって知ってからは、湧き上がる不愉快さをなんとか抑えて、耳を傾けてくれるようになりました。
忠告は家族であるからこそ不愉快なものです。躁状態は本人は気分爽快ですから、「それが病的だ」と言われると傷つくし落ち込みます。身近な観察者と良好な関係を保ちつつ、きちんと忠告を聞く。結構難しいんですが、結構大事です。
治療は医療だけでできるものではない
自己紹介がてら、夫の病気と夫の治療について思うことをまとめてみました。治療の第一歩はもちろんお医者さんにかかって薬を飲むことですが、それを続けるとなると「素直さ」という本人の素質の部分、「睡眠」という生活の部分、「家族のためにという思い」「身近な観察者」という環境の部分、それぞれ同じくらいの割合で大事になるなと。なんか最近そんなことを思っていたので、一本記事にしてみました。
彼の躁うつ病については色々な話題があるので、また折を見て書いてみたいと思います。
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